て、一味ととうの残党ででもあるように嫌疑を受けてはたまったものでない。
 せっかくの衣裳道具がジリジリと水びたりになって行く無残な光景を、たまたま通りすごす人も、怖る怖る横目に見て、足音を忍ばせて通り過ぎるくらいですから、この長持もまた救われないものの一つでありました。
 ところが、この長持が突然、大きなあくび[#「あくび」に傍点]を一つやり出したことです。
「あーあ、ううん、あーあ」
 長持があくびをするということは曾《かつ》てあり得べきことではない、それが確かにあくびをしたのですから、まず田にしが驚いて蓋をしたというわけなんでしょう。そうするとつづいて、
「こいつは、たまらねえ」
 その長持の、初菊や、みさおの衣裳の中が、急にもぐもぐと劇《はげ》しく動いたかと見ると、いきなり、その中から這《は》い出したものがありました。
「あ! こいつは、たまらねえ、こういうこととは知らなかった」
 あわてて長持の中から這い出したのはいいが、這い出したところが水田《みずた》です。その水田の中へ手をついたものだから、手が没入する、足を入れると足が没入する、後ろへひっくり返ると背中、前へのめると面《か
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