ません。そこで、期せずしてまずその長持に手がかかるや否や、傍らの水田の中へがむしゃらに抛《ほう》り込んでしまい、駄賃馬に向っては、持合せの間竿《けんざお》で、その尻っぺたをイヤというほどひっぱたきました。
 長持の方は田圃《たんぼ》に抛りこまれてもべつだん悲鳴もあげなかったけれども、駄賃馬は、いやというほど尻っぺたをひっぱたかれるや否や、悲鳴をあげて一時竿立ちになったけれど、直ぐに驀地《ばくち》という文字通りに駈け出しました。その駈け出した方向というのが、鳴物入りで群衆を集めている雨乞踊りの祭の庭であります。
 このことがなくっても、馬があばれこまなくても、もう大方の雲行きで感得されるのですが、馬が驀地《まっしぐら》に駈け込んで来たので、群衆も、鳴り物も、雨乞いの祭の庭もあったものではありません。
 右往左往の大混乱――それは、事実上、暴れ馬を一頭、人混みの中へ放してみれば、誰にも想像の行く大混乱が湧き上りました。
「お代官様だ!」
 もう遅いのです。現場へ馳《は》せ戻って来た長持の若衆《わかいしゅ》たちは、いちいちその場でひっくくられて、ピシピシとなぐりつけられています。うろうろして
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