郎殿が、調子を合わせていた三味線をおっぽり出して道庵の前へ飛び出して来ました。
「これはこれはようこそ、まことにはや、御親切さまの至りでございやすで、はあ、未熟なわしらが芸事を、それほどに聴いておくんなさる御親切、何ともはや、忝《かたじ》けねえでございます。お目の高えお江戸の本場の旦郷衆にお聴かせ申すような芸じゃごぜえませんが、そうまでおっしゃっていただいてることがはや、わしゃ一生の誉れでございまさあ。どうぞこちらへ、なお、どうかゆっくりごらん下されやして、悪いところは幾重にもお手直しをお願い申します。さあさあ、どうぞこちらへ……」
 下へも置かぬもてなしぶりでございますから、道庵もまたいい気になりました。
「それじゃ、まあ、ごめん下せえまし、わしも若い時分は江戸の三座の楽屋へ入り浸って鼻高でも、よいみつ[#「よいみつ」に傍点]でも、みな贔屓《ひいき》にしてやったものさ」
と言って道庵、腮《あご》を撫でながら、太夫さんのすすめてくれた舞台用の緞子《どんす》の厚い座蒲団《ざぶとん》の上に、チョコナンとかしこまりました。
 ずいぶん人見知りをしないお客様だとは思いながらも、なにしろ田舎《い
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