お茶うけに召上っていただきてえ。わしゃ、江戸の下谷の長者町で道庵といえば知っている人は誰でも知っている、知らねえものは誰でも知らねえ、至極お人よしの十八文でげす、どうかよろしく」
 こう言って、出店商人に持たせた三蒸籠の今坂を、恭《うやうや》しく楽屋一党へ向けて差出したものですから、楽屋一同が面喰ってしまって、一度は呆気《あっけ》にとられましたけれども、その申し出でたところを一応思い直してみると筋が通っている。
 誰も賞《ほ》められて悪い気持のするものはない、まして素人《しろうと》芝居の一幕も打って見せようという善人たちですから、村のかみさん、娘さんがお世辞にも、あそこがよかったと言ってくれれば有頂天《うちょうてん》になり得る善人たちである。ところがここに現われた旅の人というのは、自分から名乗るところによると、正銘の江戸の本場者で、しかも三都名優の舞台らしい舞台を若い時から見飽きているような口吻《くちぶり》でもある。その本場の江戸ッ児が思いがけなくこう言って、わざわざみやげ物まで持って賞めに来てくれたのだから、楽屋一党が喜ばずにはおられない道理です。
 まず、チョボ語りの太夫さんの源五
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