てきましたから、座席のところを庄公に頼んで置いて、人波を分けて、便所の方へと出かけて行ったのですが――その帰り途のことです、葭簾張《よしずば》りのスキ間から楽屋が丸見えだもんですから、道庵が覘《のぞ》き込むというと、そこで在郷の役者連が衣裳、かつらの真最中で、それをお師匠番が周旋する、床山《とこやま》がかけ廻る、その光景はかなり物珍しい見物《みもの》でした。それを見ると道庵先生がムラムラと病気が萌《きざ》したのは、どうもやむを得ないことです。今まで見物の最中とても、瓢箪《ひょうたん》に仕込んで来た養老の美酒をチビリチビリとやっていたのですから、かなり廻っているところへ、こうして物珍しい楽屋裏を見せつけられたのでは腹の虫がおさまりっこはないのです。
そこで道庵先生が、ちょっと人混みの中へ姿を隠したかと思うと、今坂餅《いまさかもち》を三|蒸籠《せいろう》ばかり出店商人に持たせて、いけしゃあしゃあとして再び楽屋口へ乗込んで来ました。そうして世話役に向って言うことには、
「わしゃあ江戸者だがね、上方見物の途中なんだがね、はからずこの地へ来て皆さんの芸術を見せていただきやしたが、正直感心いたし
前へ
次へ
全208ページ中128ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング