拍子木カチカチ。
「東西東西、このところ太功記十段目尼ヶ崎の段、始まりさよカチカチ」
これを聞くと道庵が無性《むしょう》に嬉しくなって、
「ありがてえ、これだから旅は止められねえ」
十七
道庵先生は、この太功記十段目を極めて神妙に見ておりました。道庵先生とても必ずしも脱線とまぜっかえしを本業としているわけではなく、衆と共に楽しむ場合には、強《し》いてことを好んで多数の静粛を破るようなことはしません。
そうしているうちに、この一座が、太功記十段目一幕をとうとう本行通りこなしてのけてしまったのには、さすがの道庵先生が舌を捲きました。案外の上出来、それに上方《かみがた》に近いせいか、第一、チョボが確かだし、一座の役者の仕草《しぐさ》も台詞《せりふ》も一応、格に入っておりました。
道庵は感心の余り、ひとつ賞《ほ》めてやりたいものだという気になりました。もう幕が下りてから賞めたところで仕方がない、まあ、この次の幕に近江源氏があるらしいから、一番江戸ッ児張りにうんと賞め言葉を投げつけてやろうと意気込んでいたが、幕間《まくあい》がかなり長い上に、道庵もちょっと小便を催し
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