々《そうそう》とまでは行かなくとも、ブリキ中のガサガサくらいのヨタ者|御定連《ごじょうれん》が席につき、この御定連の顔ぶれのうち、珍しくも紅一点の村雨女史という別嬪《べっぴん》が一枚、差加わったのは、いつも同じ顔ぶれの三ぴんばかりで、同じ楽屋落ちをやっていては、さすがの議長プロ亀も気がさす申しわけを兼ねての色どりと見えます。そこで議長プロ亀の動議を聞いていると、
「我々が常日頃、道庵退治のために、いかばかり肝胆《かんたん》を砕いているかは御存じの通り、江戸表に於ては三文安の喬庵《きょうあん》を押立て、十八文の看板を横取りしようとたくんだが、残念ながら物にならず、名古屋表に於ては、安直に大日本剣聖と向うを張らせておどかしたが、かえって枇杷島橋《びわじまばし》での藪蛇《やぶへび》、あっぱれ道庵に武勇の名を成さしめてしまった。我々三ぴんがこうまで心を合わせ、きゃつ道庵めの眼に物見せてくれんと浮身をやつすのに、きゃつ道庵めは、しゃあしゃあとして我々三ぴん連を眼中に置かぬ振舞、関ヶ原に於て大御所気取りのあの傍若無人――このまま道庵を上方《かみがた》に入れて、我々の縄張を荒させては、我々三ぴんの飯
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