んだ、あの娘の継母《ままはは》という人が、自分の子に家をとらせてえがために、あのお嬢様を焼き殺そうとしたというのが、あの娘の呪いと、憎しみと、復讐のもとなんだ――もう今となっては、誰が何と言ったって、どうにも手がつけられねえ」
「ですけれども、なかなか親切で、大腹中《だいふくちゅう》で、そうして物わかりがよくて、どこといって……」
「それだそれだ、お気に入りさえすりゃあ、どこまでもよくしてくれるし、悪い段になると、人を取殺さずにゃ置かねえ。で、みんな腫物《はれもの》のように、おっかながっているが、おいらなんぞは、ちっとも怖《こわ》いと思わねえ」
「え、え、米友さんは、あのお嬢様のお気に入りのようですね、米友さんに限って、あのお嬢様の前でポンポン言っても、ちっとも気におかけなさらないようですけれど、ほかの者はみんなピリピリしているようです」
「なにも、おいらは気に入られようと思って、おべッかを使ってるわけじゃねえんだが、みんなお嬢様、お嬢様って鬼か蛇《じゃ》ででもあるように、おっかなびっくりしているのが、おかしくってたまらねえや――」
と、米友が得意になって、少しくせせら笑いの気持です。その時、お雪ちゃんが胆吹山の方を向いて、
「友さん、あそこへおいでのは、あれは、お嬢様じゃありませんか」
お雪ちゃんが指したところの林の透間を米友が見ると、
「あっ!」
と舌を捲きました。
「こっちへおいでなさるようですね」
「うん」
「わたしは、お目にかからない方がいいでしょう、さよなら、米友さん」
「まあ、いいよ」
「でも、なんだか、わたし怖いわ」
「ナニ、怖いものか――」
林の蔭から姿を現わしたのは、お銀様と見られた人の姿ばかりではありません――そのあとに一頭の駄馬を曳《ひ》いた馬子と、馬子に附添って、手代風《てだいふう》なのが一人、つまり、この二人一頭が、恐る恐るお銀様のあとを二丈ばかり間隔を置いてついて来る。お銀様は先に立って、儼然《げんぜん》として、例の覆面姿で歩みを運びながら、ゆらりゆらりとこちらへ向いて練って来るのです。一筋道ですから、それは当然、この米友があらく[#「あらく」に傍点]を切っている現場のところへ通りかかるに相違ありません。
お雪ちゃんは隠れるともなしに、姿を後ろの林に隠してしまいました。
米友は再び鍬《くわ》をとって、黙々として木の根起しにとりかかります。
人家のない胆吹尾根《いぶきおね》の原ですから、近いようでも遠く、姿ははっきり認めてからでも、あの通り、ゆらりゆらりと練って来るものですから、この場へ来かかるまではかなりの時間を要します。
お雪ちゃんがこの場を外《はず》したのは、特にお銀様という人に好意が持てないわけではなし、悪意を芽ぐませているというわけでもないのですが、なんとなく気が置けて、不意に当面に立つことをいやがったのでしょう。
米友には、そうしてお銀様を避けなければならない心の引け目というものが少しもないから、引続いて木の根を掘りくずしに取りかかっているぶんのこと。
「友さん」
「何だい」
暫くあって、尋常一様の応対がはじまりました。いつしかお銀様は、米友の丹念な木の根掘りの前に立っている。米友は特に頭をもち上げないで、仕事の手をも休めないで、
「何か用かい」
と答えました。
米友としては、この人が来たために、特に仕事の手先まで休ませて敬意を表さなければならない引け目を感ずるということなく、また、さいぜんお雪ちゃんをあしらったように、ともかくも木の根へ腰を卸して応対するほどの必要を認めなかったのか、それとも、人の来る度毎に手を休めて株根へ腰をかけていた日には際限が無いとでも思ったのか、そのままで仕事をしていると、
「ずいぶん骨が折れるでしょう」
と、先方からお世辞を言いますと、
「なあーに」
米友は、鼻の先で返事をしながら、傍目《わきめ》もふらずに鍬を使っていました。
こういう働きぶりは、二宮尊徳に見られると非常に賞美される働きぶりなのですが、米友は、賞美されんがためにこうして働いているわけでもなく、お銀様もまた、使用人の勤惰《きんだ》を見るつもりでここへ来たのではありませんでした。
「友さん」
「何だえ」
「少し、お前に頼みたいことがある」
その時、米友がはじめて鍬の手を休め、腰をのばして、鍬の柄を腮《あご》のところへあてがって、まともにお銀様の方に立ち直りました。
「何だい、おいらに頼みてえというのは」
「ちょっと、お使に行ってもらいたい」
「ちぇッ……」
と米友が舌打ちをしました。
それは、頼みを聞いてやらないという表情ではありません。せっかく精を出して、こうして木の根を掘っているところへ小うるさいが、事と次第によっては、頼まれを聞いてやらない限りではないという好意を知
前へ
次へ
全52ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング