ったのでしょうけれども、それが存外物やわらかな手ごたえがあったものでしたから、まず安心していると、
「あれはね、あれは変人だよ」
と米友が、まず断案を頭から、たずねた人の真向《まっこう》へおろしてしまったには、お雪ちゃんも面喰いました。
「変人!」
変人だか、常人だか、それを聞くのではない。そんな断案は、人に聞かなくても一見すれば誰でもわかることで、ちょっと附合ってみさえすれば、お嬢様という人が――ここにお嬢様と呼ぶのは、かの有野村のお銀様の代名詞であることは申すまでもありません――常人でないことだけは、わからずには置かないのですから、そんな無意味な断案を改めて米友から聞く必要はないのです。だが、相手を呼んで変人だという、この返答の主、すなわち宇治山田の米友がどれだけ常人に近いのだか、それを考えると多少はおかしくもなるのですが、これはこの返答の結論でも断案でもなくて、帰納《きのう》と演繹《えんえき》との論鋒を逆につかったものとして見れば、もう少し希望を残して聞いていないわけにはゆきません。
「うむ――変人だなあ、よっぽど変っているよ、あの娘もあれで、家はなかなか金持なんだという話だがなあ」
それもわかってる、お銀様の背景に、偉大なる財閥ではない財力の権威があるということは、不破の関以来、お雪ちゃんもとうに心得ていることなのでした。
「え、え、それはわかってるのよ――お家は、甲斐の国で第一等のお金持だということもよくわかっております、わからないのはあの方の――そうですね、わからないと言えば、どこもここもみんな、わたしたちの頭ではわかりきれないところばっかりで、どこをどうとおたずねしていいかさえわからないのですけれど――」
「うむ、ありゃあね、心が傷ついているんだ。あれで、もとはいい娘だったんだってな、姿だってお前、いいだろう、あの通り姿もいいし、心持も鷹揚《おうよう》で、品格があって、女っぷりとしても、さすが大家に生れただけによ、上々の女っぷりだったんだそうだがな、面《かお》を傷つけられてから、それから心が傷ついてしまったんだよ」
「まア……」
その時に、米友の返答がようやく、お雪ちゃんの壺にはまりそうになったのです。破題を先に、思いきり上げてしまったものですから、つづく調子の途惑いがしていたのを、ようやく糸にのりそうになったので、お雪ちゃんが喜んで、
「まア、おかわいそうにね」
「うむ、かわいそうと言えばかわいそうに違えねえかも知れねえが――かわいそうというよりは、我儘《わがまま》の分子が多いね、あれじゃあかわいそうだと思っても、本当に憫《あわれ》んでやる気にゃなれめえ」
「そうねえ」
「面が傷ついたからって、心まで傷つけるには及ばねえのさ、人間は面よりは心が大事だからなあ」
ここに至ってせっかく壺におさまりそうなピントが、平凡至極の俗理に落ちてしまいました。
人間は面よりな心が大事だからね――そのくらい見え透いたお世辞はないが、また醜婦に対する慰めの言葉として、これより以上、或いは以外の慰め言葉というものはない。米友ともあるべき者が、こんな平凡極まる俗理を言い出したのは、ただ、ほんの間投詞の一種類に過ぎないことは分っていますから、お雪ちゃんを失望せしめることはなく、
「どうして、あんなにお面にお怪我をなさったのでしょうか」
「うん、そりゃあね、火傷《やけど》をしたんだ、子供の時分に火ですっかり焼き立てたんだね、面を火で焼かれたというより、火の中からあの面を拾い出したんだね、それで五体は満足なんだが、あの面だけが――ところがねえ、お雪ちゃん、お前の前だけれども、女というものは、なんのかんのと言うけれど、つまるところは面だけが身上《しんしょう》じゃねえのかなあ――」
「どうして、米友さん、そんなことを聞くの」
「どうしてだって、女というやつはね、面が悪ければ、五体を棒に振って一生を台無しにしてしまわなけりゃならねえのか。面のよし悪《あ》しのほかに、女というものの身上はねえのかなあ。そうかといってまた面がよければいいで……楽あできねえよ」
「ホ、ホ、ホ」
とお雪ちゃんが、少しおかしくなって、
「それは、面の大事なことは、女だって、男だって――人間でなくったって、みんな大事じゃありませんか、あのお嬢様がお小さい時分に、そんなむごたらしいお怪我をなすったから、それならお前さんの言う通り、心も傷つくのはあたりまえじゃありませんか」
「ところがね、あのお嬢さんのは、ただ傷ついたんじゃねえ、傷ついてから、それから僻《ひが》んだんだ、僻んでから、それから、そうさなあ、呪《のろ》いだなあ、呪いになって、憎しみになって、復讐になって……今じゃ、手におえなくなっているというそもそもの起りが、火傷の怪我というのが偶然のあやまちの怪我じゃねえ
前へ
次へ
全52ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング