、遥かに細かい計算力を持っている様子に於て、お雪ちゃんは、このお嬢様は金銀の中に生れて来たが、金銀そのものの価値を知らないお姫様育ちの娘ではないということの、頭の働きを見て取ることができました。
 昔、三井《みつい》であったか、鴻池《こうのいけ》であったかのお嬢様が、ある時、述懐して言うことには、
「世間の人が、お金が無くって困ると口癖に言いやるけれど、いくらお金が無いと言いやる人でも、箕《み》に一杯や二杯は持っていることだろう」と。
 このお銀様は、そういった種類のノホホンなお嬢様とは全然違うということを、お雪ちゃんはちらと思い出してみました。事実、この目の前にいるお嬢様のお家というのは、三井、鴻池、奥州の本間といったような家筋に、優るとも劣らない長者でおありなさるにしても、このお嬢様こそは、鷹揚《おうよう》なところはドコまでも鷹揚ではあり得べしとも、細かいところは充分細かく眼が届き、頭が働く人柄だと思わずにはおられません。それがかえって、この際、お雪ちゃんの心を頼もしいものにしました。世間知らずのお嬢様から、無算当に大金を預かるということよりも、知るところは知り尽している人から、情を明けて頼まれる方が、頼まれ心がよい――ということをお雪ちゃんが感じました。そういうことをお雪ちゃんが感じながら、二人さし向って話しているうちに、眼下の原野の中の遠方から、轟然《ごうぜん》として一発の鉄砲の音が聞えると共に、森の中から、人が蟻の子のようにこぼれ出したのを、二人とも殆んど同時に認めました。
「何でしょう」
と、まず不審を打ったのはお銀様でした。
「そうでございます、何か騒がしい様子でございます」
とお雪ちゃんも相鎚《あいづち》を打ちました。
 やや遠く、鉄砲の音だけでしたら、二人ともそんなに不審がることはなかったでしょうが。人が蟻の子のように散乱したものですから、それで、何か相当に穏かならざることが起ったのではないかしらと、多少不安がらせる空気があったのです。
 その時、また、さきほどこの場へお銀様が訪れない以前、お雪ちゃん一人で空想と実景にあこがれている時分に、お雪ちゃんの印象をつかまえた、あの大きな鳥――アルバトロスを知らない限り、日本の本土で見る最も大きな鳥であり、強さに於ては鳥類の世界を通じての王者であるところの、鷲《わし》の姿が、突然またあの森の中から見え出して来ました。
 この大きな、そうして強い鳥が、あの村里の森の中に今まで潜行していたと見えるが、今しパッと舞い上って、空中に姿を現わしてみると、また急に低く飛び下り、低く飛び下ったかと見ると、また、やや高く舞い上ったのです。その途端にパンパンと鉄砲の音が続けざまにまた聞え、同時に、蟻の子を散らしたような人が、あちらこちらへ去り飛ぶのをハッキリと二人が認めました。
 そこで、お雪ちゃんには、はっきりと、それだけの光景のおこりがわかりました。ああ、そうだ、さいぜんの大きな鷲が人里に下ったものだから、それを認めて、村人が騒ぎ出したのだ、だが、それは大きな鷲を見ていないこのお銀様には合点《がてん》のゆかないことだろうと、
「わかりました、わかりました、お嬢様、わたくしが先程ここで見ておりますと、あの比良ヶ岳の方から一羽の大きな鷲が参りまして、それが、この胆吹の上から館《やかた》の屋根の上を飛び廻っておりましたが、やがてあの村へ飛び下りたのは、たった今のことでございました、それを村の人が見つけて捕まえようとして騒いでいるのでございましょう」
「ああ、そうですか、あの大きな鳥は鷲でございますか」
とお銀様も、またその鳥の姿を見ていると、或いは高く、或いは低く、村里と人の頭上にのぼりつ降りつして、その辺を去らない鳥の挙動を、いよいよ不審だと思わないわけにはゆきません。
 いくら鳥類の王、無双の猛禽にしてみたところが、人類の威嚇を怖れないというはずはない。まして、その様式の程度は知らない、種ヶ島時代の遺物にしてからが、鳥おどしの価値だけは充分につとまる、あの鉄砲というものの音を聞いて走らない鳥はないはずなのに、あの鳥は自家の勇力を恃《たの》んでか、高く低くあの通りにして人里と人の影を怖れない、見ようによっては人間と相争うかの如く、また人間を憤るかの如く、また人間を揶揄《からか》うかの如く、つかず離れずに空と地とで対峙《たいじ》しているのであります。人間の騒いでいることは、猛禽の襲来に備える意味から言っても、同時にこれを捕えんとする慾望から言っても、当然のようなものだが、それと対抗して去らない鳥の挙動こそ解《げ》せない――と眉をひそめた途端に、お銀様がハッと気のついたことがありました。
 それは先刻、開墾地方面をゆらりゆらりと歩いていた時分に、パッタリ行会って、それから取引の開始となって
前へ 次へ
全52ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング