にぎ》やかさが加わってゆくうちに、これが与八が註文したわけでもなく、お松のような指導者が存するわけではないのに、花卉木草《かきもくそう》を植え込んだ次に、手でするさまざまの供え物が集まって来るのが不思議でした。
例えば真白い木綿達磨《もめんだるま》、紙幟《かみのぼり》、かなかんぶつ、高燈籠《たかどうろう》といったようなものを誰が持ち来たすともなく持ち来たして押立てる。
無邪気で、こういうことをしている間に、そこは子供心で、おのずからの競争心といったようなものが出て来るのを認めます。甲の紙幟の評判がよいと、乙がそれに負けない気になって、それよりも優れたものを拵《こしら》えて来る、丙のかなかんぶつが喝采を博した時は、丁は竿の先に結びつけた高燈籠の色紙に自慢を見せて、高々と差しかざして来て押立てる――そうして、自然それが出来ない子供のうちには若干の羨望《せんぼう》もあるし、諦《あきら》めているのもあるし、肩身の狭い思いをしているらしいのもある。子供らの為すことのすべてに干渉しない与八も、そういう空気を見て取っては、知らず識《し》らずのうちに子供たちの無益な競争心が増長しつつ行くのを見ると共に、その競争に堪えられないでしおれる子供たちを見ると、その弊害の尠《すくな》からざることを思いやりました。
そこで与八は、なるほどお松さんが、子供を見ているうちに、どうしても教育をしなければならないとさとってこれを実行した心持がよくわかり、自分もそこでお松|直伝《じきでん》の教育をはじめることになりました。しかし、これはお松さん直伝の教育というよりも、与八さん独得の説教といった方がよいかも知れませぬ。
自分がコツコツと石像をきざみながら、板の間へ子供たちを呼び入れて、ねんごろに話を聞かせてやりました。
話といっても、与八のはお伽噺《とぎばなし》や武勇伝のようなものではなく、みんな、よく遊びながらも、おめぐみということを考えなくてはならねえ、第一父母のおめぐみ、それから目上の人のおめぐみ、国のおめぐみ、世の中のおめぐみ、神様仏様のおめぐみということを考えて、めったに人と争いをしてはならねえ……というようなことを、くどくどと教えるのですが、妙にそれが子供の頭に入るので、神妙に聞いています。
それからまた、与八は子供たちに、東妙和尚うつしの地蔵和讃などをも口うつしに教えました。
お松の教育は、手をとって学問芸術を教える正式の教育でしたけれども、与八のは、やっぱりお説教の一種です。こうして説教をやっているうちに、集まる子供たちの一々について視察して見ると、知恵の程度がまちまちであることを知りました。存外、年を食うて大きなずうたい[#「ずうたい」に傍点]をしているに拘らず、いろはのいの字も知らない鼻たらしがいたり、小さくても、年も少ないのにずいぶん過ぎた読書力を持っていたりするものもあり、概して平均した教育を持っていないことを知った与八は、説教だけではいけないと、今度はお松さん直伝の教育にとりかかりました。
この子供たちを教育することは、郁太郎を教育するのと兼ねてやることになりますから、与八としてはやっぱり日課を拡大しただけの程度で、特別に苦になるということもありません。
しかし、教育者そのもの、つまり先生でありお師匠さんであるところの、御当人の学力というものが甚《はなは》だ怪しいもので、師範学校を出たり、検定試験を受けたりして免状を持っているというわけではなし、お松さんのように遊芸|手跡《しゅせき》、本格の仕込みを受けているというわけではないから、教員資格としての与八は、大したものではありませんけれども、沢井の時の経験から、この子供たちを導くにはどうやら不足がない。
「いろは」を教え、「アイウエオ」を教え、「一二三」を教え、やがて手製の大算盤《おおそろばん》をもって、寄せ算、かけ算を教えはじめました。
子供たちは、文字を知り、数を覚えることの興味に吸い寄せられて来ました。子供たち自身よりは、驚異をもってうごめき出したのはその子供たちの家庭でした。日に一字ずつ覚えて帰る、お辞儀のしかたも覚えて帰るガキ共を見て顫《ふる》え上りました。
あの薄馬鹿のようなデカ者は、親切である上に先生が出来る! あそこへ子供をやって置けば間違いはない! 子供もよい癖がついた上に、読み書き、そろばんまでも教えて帰される!
彼等の親たちの大多数は無学でした。お触れのかきつけを読むことも、嫁の里へやる手紙を書くこともできないのが多いのですから、文字を有難がることは金玉《きんぎょく》のようです。その金玉を毎日一つずつ拾って帰る子供を見ると、それを拾って帰らす人の功徳《くどく》を驚異せずにはおられないのは当然。
こうして与八の家は、おのずから説教の壇上となり、教育
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