る建物が出来ました。
 この新居に納まった与八。
 その次の仕事として、いったん取除けた土を清めて塚を築き直し、巨石を洗って別に新たなる台座をこの上に載せました。してみれば、やっぱり何物をか新たにその台座の上に建てようとの目論見《もくろみ》に相違ない。
 かくて与八が、再び抱き起して、作事小屋へ抱え込んだのは、グロテスクの本尊、悪女塚の女人像《にょにんぞう》でありました。
 与八は、そのグロテスクな石像を作事小屋に担ぎ込んで、後ろの糸革袋《いとかわぶくろ》の中から取り出したのが金槌《かなづち》と石鑿《いしのみ》です。それを両手に持って、小屋の中へ立てかけた悪女の女人像をじっと見据えました。
 暫く見据えていたが、やがて立って、悪女人像の顔面の真中ほどへその石鑿をあてがって、右手の槌は早くも頭上に振りあげられたところを見ると、与八はまず最初の鑿で、このグロテスクの顔面を一撃の下に打ち砕こうとする心構えに相違ない。
 ここまで意気込んだが、この男が少し躊躇《ちゅうちょ》しまして、さてまた改めて、つくづくとグロテスクの悪女人の面貌を見直して躊躇しているのは、今更、この石像の持つ深刻な憎悪と醜悪との表情におびえ出したとも思われません。ただ、なんとなく槌を下ろすのに忍びない、すでに塚を取崩して平地にしてしまった以上、その本尊様を粉に砕いて、人目に触れしめないようにすることが当然の親切でなければならぬが、さて、こうして当面して見ると、
「そうだなあ、こりゃ大した魔物には魔物に相違《ちげえ》ねえけれど、これまでに丹精して作ったものだ、形は魔物であるにしろ、その人の丹精というものはおろそかにならねえからな、これだけに仕上げた人の骨折りを思うと、それを無下《むげ》にする気になれねえ、魔物はブチ壊してえが、人間の丹精は惜しいなア」
 与八が鑿《のみ》を振わんとして、振い得ない理由はそれでありました。
 実際、このグロテスクなるものは、観賞眼の乏しい与八の目を以てしても、それが魔物であり、悪女の像であることは熟知していて、その意味から悪魔払いのために打ち砕くべきが当然であることを深く自認しながらも、作そのものの異様にして、同時に非凡なる或る力に打たれないわけにはゆかなかったのです。
 この悪女像の表現に於ては、「年魚市《あいち》の巻」に次の如く書いてあるのを、少し長いが改めて引用する。
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「巨大なる蛸《たこ》の頭を切り取って載せたように、頭頂は大薬鑵《おおやかん》であるが、ボンの凹《くぼ》には※[#「くさかんむり/毛」、第4水準2−86−4]爾《もうじ》とした毛が房を成している。巨大な、どんよりとした眼が、パッカリと二つあいていて眉毛は無い。鼻との境が極めて明瞭を欠くけれども、口は極めて大きく、固く結んだ間へ冷笑を浮ばせている。頭から顔の輪郭を見ると、どうやら慢心和尚に似ているが、パッカリとあいた眼は、誰をどことも想像がつかない。だが、そのパッカリとあいた、力の無いどんよりとした眼が、見ようによっては、爛々《らんらん》とかがやく眼より怖ろしい。かがやく眼は威力を現わすけれど、この眼は倦怠を現わす。威力には分別を含むものだが、倦怠は侮蔑のほかの何物をも齎《もたら》さない。
お銀様のこしらえたのはスフィンクスです。だが、古代|埃及《エジプト》の遺作に暗示を得たのでもなければ、模倣したのでもなく、或いはまた直接間接に、その材料を取入れたわけでもなんでもありません。全くお銀様独得のスフィンクスだということが一見して直ぐわかる。
たとえば、復興時代のエジプト人が、母性守護の女神として表徴した奇怪なる河馬女神《かばにょしん》トリエスの石彫像に似たと言えば言えるが、もちろんそれではない。
牝牛《めうし》を頭にいただいたハトル女神の面《かお》? アプシンベル神殿の岩窟《いわや》の四箇の神像のその一つのクラノフェルの面に似ていると言えば言えるかも知れないが、それでありようはずのないのは、メンツヘテブの石彫がこれと似て非なるものと同じこと。
古代埃及の彫像は怪奇を極めているが、超現実的ではない。いかなる怪奇幻怪なるものの裏にも、必ずや厳密なる写実がある。
お銀様のスフィンクスには、怪奇はあるが写実はないと言ってよろしい。
古代エジプト人は、死者の霊魂は必ずその彫像を借りて生きて来る、或いは彫像によって死者の霊魂を迎え取ろうという信仰があった。よし、それは迷信であっても、信仰の一つには相違ない。そこで六千年以前から人類生活を持っていた偉大なるハム民族は、その巨大なる想像力と、独得なる霊魂復活の信念を働かせて、多くの巨人的制作を、現代の我々の眼にまで残している。
お銀様のスフィンクスは、こんなものではない。
第一、お銀様には、その巨大なる想像力が無い
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