那様、旦那様がお困りなさるわけを、わしも人様に聞いてよく知っておりますが、旦那様の御迷惑はみんなこの与八がかぶりますから、どうか、あすこんとこを、与八に貸してやっておくんなさいまし」
「与八――お前はまた、何か了見《りょうけん》があって、特にあの場所を所望するのかね」
「え、了見があるんでございますよ、早く申し上げてしまいますとね、旦那様、結構なこのお邸《やしき》の中に、あんな不祥な建物があるのはよろしくございませぬ」
「それはよくないにきまっている――よくないにきまっているけれども、それを親としてのわしがどうにもできないでいる浅ましさを察してくれ、さわらぬ神に祟《たた》りなしとはあのことだ」
「祟りがあっても、わしらかまいません、わしらの身の上に祟りがあることなんぞは、いくらありましょうとも、かまいません、お屋敷のうちにああいうものを置きますと、いよいよ悪気が籠《こも》って――この末のことも想われますから、わしがひとつあれを取払って、そうしてそのあとを清めてから、片隅へわしらの家を建てさせていただきまして、それからわしらはまたあの土地へ、悪女塚に代る供養を致してえと、こう思うんでございます。それで旅へおいでになったお嬢様がお帰りになって、お腹立ちになりました時は、与八ひとりが罪を着まして、どういうお咎《とが》めを受けましょうとも、罰を蒙《こうむ》りましょうとも、覚悟をいたすつもりでございます。ですから、あの塚の取崩しから、地形地均《じぎょうじなら》しから建前《たてまえ》まで、みんな、わしら一人の手でやってみてえと、こう思ってるんでございます――お嬢様からお咎めのあった時、わしら一人が罪をきるつもりで……」
「えらい、よく言ってくれた、お前でなければそういうことを言ってくれる人はない、では、いいからおやり、塚を崩そうとも、像を壊そうとも、お前さんの思い通りにおやりなさい」
伊太夫がここではじめて、凜《りん》とした親権者としての気前を与八の前に示しました。その言葉によって見ると、よしよし、お前ばかりにその罪はきせない、今度こそ娘が帰って来て、留守中にこの男のやった仕事に不服があるならば、主人として、親としてのこの伊太夫も、立派に権威を見せるという腹をきめたらしい。
こういう諒解のもとに、その翌日から与八は、悪女塚の取崩しにかかったのであります。
そうして、この工事の間は、主人は他の仕事に与八を使わないことにきめましたから、与八は、ここへ仕事小屋を建てて寝泊りをして、郁太郎を遊ばせながら、お銀様の悪《あ》しき丹精を、片っ端から解消にとりかかっているという次第なのです。
二十五
実際、与八のこの仕事は、藤原家に出入りのすべての人を戦慄せしめずには置かない仕事でありました。
「馬鹿でなければやれない仕事だ」
「知らぬが仏とはよく言ったものだ、藤原家のお嬢様なるものの御面相を、全く知らない人でなければ出来ない仕事だ、風来人なればこそ出来る!」
と感歎するものもある。
「あのお嬢様が帰って来て、あれをごらんなすったら、その結果はどうだ、あの馬鹿みたような男は、直ぐに捕まって焼き殺されてしまうにきまっている、その時、火あぶりの執行人を言いつかるものこそ災難!」
と今から口をふるわせる者もある。
左様、全く知らぬが仏です。与八は暴女王の女王ぶりのいかに峻烈《しゅんれつ》であるかに就いては全く知らない!
有野村の藤原家の邸内は、いわば治外法権の地である。この邸内に於て行わるる限り、生殺与奪というものが、この家の主人にある。主人以上の暴女王は、おそらく怒りが心頭にのぼる時は、この馬鹿者を押えて焼き殺すかも知れない、殺すかも知れないではない、事実、先日の大火に家を焼き、仮りにも母と名のつく者、弟の縁につながるものを、同時に焼き亡ぼしてしまったのは誰だ。
ここに、知らぬが仏の風来の愚か者に対して、そのことを思いめぐらして、当然近き将来に来《きた》るべき残忍極まる刑罰の日を予想する村人の心配には、根拠がある。
しかし、この馬鹿みたような当人は、相変らず天下泰平で、その馬鹿力を応用し、さしも人と土石との労を尽したグロテスクの建造物を、数日の後には苦もなく破壊し尽して、そうして名残《なご》りもなく、そのあとを平げてしまいました。
その一隅へ自分で建てた掘立小屋。
材木も、大工も、惜しむところなく供給してやると主人が言ったに拘らず与八は、この住居をも自分の手一つで建ててしまいました。当然それが掘立小屋に毛の生えた程度のものであるには相違ないが、それでも、床は上っているし、壁もついている、ただ、木口だけはなかなか贅沢《ぜいたく》だから、素人《しろうと》建築とはいえ、貧弱な感じはせずして、かえってガッシリして変った味のあ
前へ
次へ
全52ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング