、検地の役人は見えたかい」
と、先方はやっぱり竿と針の方を見ながら米友に問いかけるのです。
少し変な奴だなあ、釣針に向ってものを聞くならば釣針の方を見ていてもよろしいが、人間に向って物を尋ねるならば人間の方を向いちゃあどうだ、と米友が思っていると、
「うむ、どうした、江戸表から乗込んだ検地の役人は、もう長浜へ着いた時分だろうがな」
まだ、やっぱりこっちを向かないで横柄な質問ぶりだから、米友も少し癪《しゃく》に障《さわ》り、
「知らねえよ、どんな役人が来るか、おいらあ役人の番をしているんじゃねえんだ」
と言いました。その言葉にはじめて釣をしている浪人ものが、こっちを見返って、いやに落着いた顔をしながらじろじろと米友を見廻し、
「おう、貴様はこの土地の者じゃないのか」
「ばかにしてやがらあ――」
と、米友がはじめて捲舌を試みました。
「何を申すぞ」
「何を申すぞもねえもんだ、人のことをとっつかまえて、いきなり、子供子供たあなんだ、よく面《つら》を見てから物を言うがいいや。第一釣竿と話をするなら釣竿の方を見ていてもかまわねえが、人間に話をしかけようというんなら人間の方を向いて何とか言っちゃどうだ、その上になお人をつかめえて貴様たあ何だ、恩も恨みもねえ人間をつかめえて、いきなり貴様たあ何だ」
と啖呵《たんか》を切ったものですから、浪人とはいえ、武士の手前、この雑言《ぞうごん》にムッとするかと思うと、釣を楽しんでいる浪人はかえって和《なご》やかに笑いました。
「ハハハハハ、それは済まなかった、なるほど君のいう通り、一概に君を子供扱いにしたのはよくなかった、それに、ついどうも、荒っぽいこの辺の浜者を相手にしているものだから、こちらも口がきたなくなった、許さっしゃい」
「うむ」
と、米友がうなずいたものだ。許すとも許さないとも言わないで、いきみ返って立っていると、右の浪人者はよほど何か面白い感じがしたと見えて、かえって向うからいよいよ打解けて来て、
「まあ、君、急がなければここへ坐って少し話して行きたまえ」
そういうふうに出られると、米友もちょっと癪《しゃく》の虫がおさまって、言われる通りに坐り込む気にもなれないが、そうかといって荒々しく砂を蹴って立去るにも及ばないという気になると、
「君のその言葉つきによって見ると、君が、この土地の人間でないことは明らかだ、この土地の人間でもないものに、この土地のことを尋ねようとしたのはこっちが悪い、第一、人間と話をするのに人間の方へ眼を着けないで、釣の方ばかり見ていたのは礼儀に欠けていた、君はこの長浜というところへはじめて来た人らしいな」
「うむ、はじめてこんなところへ来てみたんだ、こんなところへ自分から来てみようなんてつもりはなかったんだが、人に頼まれたんで、余儀なくね」
「そうか。で、長浜というところはなかなかいいところだろう」
「うむ、景色はあんまり悪くねえな」
「景色ばかりじゃない、ほかにいいところが幾つもある」
「ほかにいいところが幾つあるか知らねえが、今この土地へ来たばっかりのおいらにはわからねえ」
「わからないはずはない、お前は太閤秀吉を知っているだろう」
「冗談言いなさんな、太閤秀吉を知らねえ奴があるか。こんだもここへ来る途中、おいらの先生と一緒に、わざわざその太閤秀吉の生れ故郷の尾張の中村というところへ行って、供養をして来たくれえのもんだ」
「ほほう、それは近ごろ奇特のことだな。それで、君はやっぱり太閤の名残《なご》りがなつかしいものだから、この長浜へもやって来たんだな」
「そうじゃねえ、長浜へ来たのは、来るつもりで来たんじゃあねえのだ、頼まれたから、よんどころなくね。だから、太閤秀吉と長浜が何をどうしたか、そんなことはいっこう知らねえ」
「ははあ、君はそれを知らないで長浜へ来たのか」
「知らねえよ」
「そりゃいかん、尾張の中村や、摂州の大阪だけの太閤秀吉ではない、この長浜は、太閤によってあらわれ、太閤は長浜によって出世したといってもよい。太閤が藤吉郎の時分、ここへ城を築いて、それまで今浜といわれたこの町を、その時から長浜と改めたのだ」
「ははあ、そうだったかなあ」
「石田治部少輔三成も、ここではじめて太閤に知られたのが出世の振出しだ」
「そうかなあ、だが、どっこにもその城が見えねえじゃねえか」
と言って、米友は、今更のように、前後の光景をクルクルと見廻しました。
二十一
そこで、この浪人者は、米友の言語応対に相当の興味を得たと見えて、わざわざ釣竿を石の下へさし込んで、立ち上って米友の傍へよって、御同様にあたり近所をながめながら、まず太閤の城あとから指して米友に教えました。
「そうら、この前のが多景島《たけじま》で、向うに見えるのが竹生島《ちくぶじま》だ―
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