から山を押して進んで行きました。
以前、馬を曳いて来た一筋道とはちがって、今度は、あらく[#「あらく」に傍点]沿いの林をめぐって、めぐり尽すと、そこにまた一つの風景が展開されました。
山腹が、ここへ来るとまたカーヴのなだらか味を見せまして、雄偉なる胆吹の山容そのものの大観はさして動かないけれども、裾の趣は頓《とみ》に一変してきました。
右の三合目ばかりの麓は、一帯に松柏がこんもりと茂る風情、左へかけて屋の棟が林の中に幾つか点々として見える。そのつづき、弥高《いやたか》から姉川《あねがわ》の方へ流れる尾根を後ろにして宏大な屋敷あと、城跡と言った方がよいかもしれないほどの構えがあることを、明らかに見つけられるような地点に立ちました。
ゆらりゆらりと山を押しながら行くお銀様の目は、この宏大なる屋敷あと乃至《ないし》城あとに向って、足は爪先あがりに上って行くのであります。
その時、往手《ゆくて》の林の中から、いかにもあわただしく転がり出して、こけつまろびつ、こちらへ向って走り来《きた》る二つの物体がありました。
不意ではあったけれど、こちらは驚くほどのことはありません。まさしくこの地方に見る、あたりまえの山稼《やまかせ》ぎの二人の農夫で、仕事着を着て、籠を背負ったなり。これはこの地特有の副業、或いは正業としての有名な、胆吹山の薬草取りのこぼれであることは疑うべくもありません。ただ、ちょっと驚かされたのは、かく慌《あわただ》しく、こけつまろびつ走る二人のうちの一人が、何か胸に後生大事にかき抱きながら、ものに追われるもののように走り来る事の体《てい》が、穏かでないと見らるるばかりです。
いよいよ近づいて見ると、その二人は、額にも手にも、かすり創《きず》だらけで、着物もかなり破れ裂けている。妙な恐怖心と、はにかみをもって、お銀様に摺《す》れ違うところまで来たが、存外、歩調がゆるやかになって、その胸に後生大事に抱いたものに眼をくれながら、何かお銀様の好奇に訴えてもみたいようなしな[#「しな」に傍点]をして、
「いやはや、大変な目に逢っちまいました」
「どうしたのです」
とお銀様も、反問せざるを得ませんでした。
「鷲《わし》の子をとっつかまえましたよ、鷲の子を……」
「鷲の子を……」
その胸にかい抱いたところのものを提示するように言いましたから、お銀様が篤《とく》とそ
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