ら出して、無論、厳重な附添の下に雪隠《せっちん》へ案内をしたのが運の尽きでした。
 あんまり静かな時が長く続くものですから、兵助親分が急に気になって、「長いじゃねえか」と言った時は、もう遅かったのです。あの田圃《たんぼ》の向うを走る犯人の姿が、ありありと誰の目にも見えました。
「それ!」というので追いかけたが、先方の妙に早いこと、早いこと、まるで鉄砲玉が飛ぶようで、稲田の蔭に没入した後は、どっちの方面から、どう探しても、行方きえ判断することもできなくて、この始末。つまり、完全に罪人を取逃してしまったということになるのです。
「なに、丼の中の二枚の小判ですか、それは、どなたも受取りゃしません、丼と一緒に、さきほどまでこの店先に抛《ほう》り出されてございました」
 それだけ聞くと、白雲は、
「そうか」
と言って、棒のように身を立て直すと、そのまま、すっくすっくともと来た松島の方へ歩み去るのであります。

         二十三

 右の要領をつきとめた田山白雲は、もうこれで、七兵衛の安否そのものだけは充分だと思ったのでしょう、岩切から真直ぐに仙台へ帰ると、お松にも、その旨を言い含めたのでしょう。それから即刻、宿を引払い、自分が主になって、お松、茂太郎、ムクを引具して、小舟で月ノ浦へ帰ってしまいました。
 無名丸に着いて、改めてこの報告と、善後策について会議を開いてみると、駒井甚三郎もここに、七兵衛というものが、自分が想像していた以上の曲者《くせもの》ではないかと考え、何かほかに重大なる黒い影を持つ男ではないかと、胸に迫るものがありました。
 しかし、田山白雲は事柄を、もう少し単純に考えて言いました、
「どうでしょう、あの男は、何か重大な嫌疑をかけられて、尋常では解くに由なき立場にいるらしいから、いっそ駒井氏の知辺《しるべ》をもって、藩の上の方へ貰い下げ運動を試み、我々の一族で、決して怪しいものでないという証明の下に、直接《じか》に当ってみては」
 白雲がそう言ったけれど、駒井は立ちどころには同意しませんでした。
「それで事が解決するならば、いつでももらい下げ運動は試むるが、どうも拙者の見るところによると、あの男は、何か相当の思慮があって、我々との関係を秘して、我々の迷惑にならぬようにと苦心しているのではないか。そうでなければ捕方が彼を探索するために、当然まずこちらへ交渉がなければならないのだが、何もない。従ってこちらへ累《るい》が及んで来ない。そこはどうしても彼の好意でもあり、苦心の存するところと思うから、それをこちらから進んで明白にしてしまったんでは、彼の好意と苦心を無にした上、おたがいの迷惑と犠牲を大きくするようにならんとも限らぬ。もう少し考えた上で、おたがいの安全を期しつつ、彼を無事にこの船中へ取納める方法を講ずるがよかろうではないか」
「なるほど、そのへんもありましょうな。窮迫しても彼が、駒井氏や無名丸を肩に着ようとしないし、直接にここへ目指して逃げて来ようとしないところに、彼の思慮は充分見えるようです。では公然のもらい下げ運動は見合わせるとして……」
 その次の方法でありました。そこへお松が意見を述べたのは、
「わたし一人で出かけてはいかがでしょう、わたしならば人様も疑いますまいから、巡礼の姿にでもなって、そうしてムクを連れて行けば、きっと探し当てられると思います。わたしをやっていただきましょう」
「いや、それはいけまい、言語風俗の違う若い娘が巡礼姿にやつすとはいえ、たった一人で、その辺をうろつくなんぞということが、かえって人の眼につき易《やす》い。それにムクは、また目立ち過ぎる」
 評議半ばのところへ、扉をやや手荒く外からおとなう者があります。
「誰だ」
 扉を開いて、板張にかしこまっている男。
「船頭でございます」
「何か用か」
「あのムクが帰りましたそうでございますが、どうか、さきほどお願《ねげ》え申した通り、ムクをお借り申してえんでございます」
「うむ……」
と駒井が、急に返答をしないでいると、白雲が船頭に向って言いました、
「ムクを借りてどうしようというんだ」
「はい、ムクをお借り申しまして、マドロスの奴を追いかけてみてえと思って、殿様にさきほどお願え申してみたでございます。マドロスの野郎、思えば思うほど胸の悪くなる畜生だ、殿様の御恩も忘れやがって、わしどもを踏みつけにしやがって、どうしても腹が癒《い》えねえから、ひとつ、ムクが帰ったらば、ムクをお借り申して、あいつのあとを追いかけて、とっ捕まえて、思うさまひとつ懲《こら》しめてやらねえことにゃ……」
 船頭は、余憤堪え難き風情《ふぜい》で、駒井へ直訴《じきそ》に来たものらしい。
 ところが駒井は、いいとも悪いとも言いません。
 つまり、うむ、では、直ぐに出かけてつかまえて来いとも言わないし、あんな奴は問題にするなとも言わないのは、駒井としてそこに若干の苦衷《くちゅう》が存するものらしいことを、田山白雲も最初から感じていました。あのウスノロのマドロスめ、言語道断《ごんごどうだん》の奴ではあるが、船長としての駒井甚三郎が、その言語道断の奴を一刀両断にも為《な》し難い――というのは、駒井甚三郎はその秀抜[#「秀抜」は底本では「秀技」]な頭脳を以て、最近の学術と、経験と、応用とを以て、一艘《いっそう》の船を独創したことは事実であるが、それを首尾よく運送して、初航海を無事にここまで安着せしめた成功の大半は、この放縦無頼《ほうじゅうぶらい》のウスノロのマドロスの力に負うところが無いとは言えない状態なのだ。学問は無く、品性は下劣であるにしても、その世界中を渡り歩いて、海を庭とし、船を家としていた生活から生れた体験は、駒井が、書物や、学理や、少々の実験からではどうしても得られないものを、こいつが豊富に持っていました。それは今度の初航海に充分に証明されたところであり、本人が、こっちにとってそれほど貴重な経験を、マドロスとしてあたりまえの働きとして、鼻にかけるところまでは行ってなかったらしいが、駒井にとって、天の助けとも、渡りに船とも、なんとも有難い唯一無二の羅針となったものです。この男がいなかろうものなら、船は、難破せしめるほどのことはないにしても、ここまでの無事廻航はまず覚束《おぼつか》ない。或いは途中、不意にどこかへ寄港して、腹帯を締め直す必要はたしかに存していたと見なければならぬ。同時に、不意の寄港がもたらすところの不便や、誤解や、さまざまの障碍を想像すると、マドロスにあっては尋常茶飯《じんじょうさはん》の労務が、駒井には無くてならぬ依頼――船中の誰よりも、むしろ船の次には、その男が必要と認めないではいられなかったと思われる。
 自然、今後の航海、その針路としてはまだ確定はしていないが、それは当然房州から仙台まで廻航して来た以上の難航が予想される。その際に於てのあのマドロスの必要は、全くかけがえのない絶対的のものである。伊豆系統の熟練な船頭はいるけれども、それは仕事の性質と経験が違う。そう思って見ると、許し難き放蕩《ほうとう》も許し、度し難き不埒《ふらち》も見て見ぬふりをしておらねばならなかった駒井甚三郎の苦衷というものが、白雲にはよくわかってくると共に、自分というものの不在中を残念がらずにはおられない。
 なあに、あのウスノロ如きは、自分がいさえすれば頭から威圧して、文句は言わせもしないのだが、船長としての責任ある地位で、かけがえのない無頼の労働者を、だましだまし使用する苦衷は、自分のようにそう一本調子にいくものでないことを、白雲といえども駒井のために推察するだけの思いやりは持っている。そこで、白雲は身を乗出して言いました、
「うむ、そのこともあったっけな。許し難い奴だ、あのマドロスめ――もう一ぺん締めてやらなければ。よしよし、その方も拙者が引受けよう、七兵衛おやじの方といっしょに、ウスノロの奴も近いうちに見つけ出して、有無《うむ》を言わさず、これへ引きずって来てみましょう。七兵衛おやじは思慮があるだけに雲をつかむようだが、ウスノロの奴は、なあに直ぐと、とっ捕まえますよ。第一、あの赤髯《あかひげ》と碧《あお》い眼で、日本娘さんと道行なんて、ドコまでそんなフザけた洒落《しゃれ》が利《き》くものか、いくら奥州の果てにしたところで、あれで晴れての道中ができたらお慰み、どこかに隠れ忍んでいるうちは無事だが、ウスノロとあの娘さんとでは、やがて頭も尻尾も丸出しにするのは眼の前だ、或いは早く追手がかかってくれるようにと待っているかも知れない。これは、船頭君の腹立まぎれではいけない、拙者が行きましょう。拙者が行って、ズルズル襟首を持って引きずって来ます。ウスノロの奴めまた泣くだろう、大きな図体をしてザマはない」
「田山先生にあっちゃかないません」
 昂奮しきった船頭も、白雲画伯がウスノロを捕えて引きずって来る時の光景を想像して、多少おかしくなったらしい。
 そこで白雲は、駒井を促して言いました、
「駒井氏――では、そういうことに願いましょう、拙者ならば、旅には慣れているし、手形も持っている――ここまで来た以上は南部領へも足を踏み入れてみたい希望もある。この船の休養と修理の間を、拙者は右の通り一石……三鳥の獲物《えもの》のため、また旅に出ましょう」
 船の休養と修理のためにも、少なくとも約一二カ月はここに碇泊《ていはく》している必要を聞き知っている白雲は、ここでその期間を利用し、行方不明の二人の船族と、それからなお進んでは風景の見学と、つまりいわゆる一石三鳥の妙案を独断的に提出すると、駒井甚三郎も、
「では……そういうことにお願いしますかな」
 白雲一人に使命を託することが、粗放のようで、実は最も安全にして確実な方法だと思案したのでしょう。お松はムク犬と共に、ぜひ白雲先生のおともにと申し出たけれど、それはかえって辛抱する方がおたがいのためだということを説得されて、それが呑込めない子でもありませんでした。
 かくて白雲は、例のいでたちを以て、その翌朝、ひとりこの船を立って、一石三鳥の目的のために出かけることに評議がまとまりました。
 その出立の前に当って、賢明なるお松は、こういうことを思案しました――そんなこんなの出来事のために、自分の心に大きな悩みを持たせられているけれども、それよりも、こんなことのために、船長の意気を沈ませてはならないこと、船中の人々の気を腐らせてもいけないということ、だから、自分がまず誰よりもつとめて快活にして、船長をはじめ皆の気を引立てることにつとめなければならない。それには、ひとつこの人数を会して、陽気な慰安会を開いて、一つは田山先生の門出を祝し、一つは船中の意気を盛んにしようとの案を立て、それを駒井船長と白雲画伯とに申し出で、欣然《きんぜん》同意を得ました。
 この慰安会は船中の人だけに限らないで、せっかくのことに、この港に碇泊しているすべての船と、この港附近のあらゆる漁村に触れを廻して、参会観覧を許すということを提議して、お松が委員長で準備を進めました。
 立役者《たてやくしゃ》には清澄の茂太郎というものもあれば、お角さん仕込みの江戸前の、ムクの縄ぬけ[#「ぬけ」に傍点]輪ぬけ[#「ぬけ」に傍点]の芸当というのも、ここへ持ち出して悪いということはない。その他、乳母《ばあや》、船頭さん、金椎《キンツイ》さんまでが、どんな隠し芸を持っていようともはかられぬ。お松さん自身は委員長としてのほかに、太夫元《たゆうもと》、狂言作者、舞台監督等のすべてを背負って立たなければならないが、事と次第によっては、舞台上の一役をさえ買って出なければならない都合になるかも知れぬ。
 かくてその翌日――
 果して当日の慰安会は、清澄の茂太郎の三番叟《さんばそう》を以てはじまりました。
 田山白雲も覚束ない手つきで、手品を一席やりました。
 登の乳母が三味線をひき、房州の船頭衆が唄いつ踊りつしました。
 見物は船の甲板上にいっぱいに溢《あふ》れたけれども、他の船からも、
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