で、婆は梁の上までのぼると、地蔵さんが、婆や婆――おれがいいこと教えてやる、いまに鬼どもが、ここさ博奕《ばくち》打ちに来《く》っから、そしたらおれが指図するから、鶏《とり》の啼《な》く真似《まね》をしろ、と言われました」
[#ここから2字下げ]
ここさ博奕打ち
くっから
くっから
[#ここで字下げ終わり]
茂太郎が頓狂声を出すと、もう慣れきった老女は、かえってそれを合の手のようにして、
「まもなく鬼どもがドヤドヤとやって来て、地蔵さんの前で博奕をはじめた。地蔵さんが合図をしたので、婆は梁の上でコケッコーと鶏の啼く真似をした。そうすると、鬼共は、一番鶏が啼いたから急いでやれと言って、ウンと博奕をやった。地蔵さんがまた指図をしたので、婆は再びコケッコーと鶏の啼く真似をしたら鬼どもは、もう二番鶏だと言いました。地蔵さんが三べん目の指図に婆がコケッコーとやると、鬼どもは、それ三番鶏だから夜が明けたと言って、みんなあわてふためいて金をたくさん置いたまま逃げ出して行った。そしたら地蔵さんが、婆や婆、ここさ下りて来いと言われたので、婆は梁から下りて行くと、そこにある金もって来いと言いつけられた。婆が金を集めて持って行ったら、地蔵さんが、それを持って早く帰れと言われた。婆はその日から、うんと金持になりました」
「婆さんうまくやったね」
茂太郎も席の興に乗出して来ました。話そのものの興味もあったでしょうが、老女が聞き馴《な》れない奥州語を調合しての話しぶりが、妙に気に入ったらしい。老女もまた、茂太郎が存外聞き上手なのに張合いが出て――
「そこへ隣の慾タカリ婆がやって来て、あんた、何してそんなに金持になったのっしゃと尋ねた。婆はありのまま、これこれこういうわけで金持になったと教えたら、慾タカリ婆は早速家さ帰って、豆を座敷に転がして、それを地蔵さんの前まで転がして行って、地蔵さん地蔵さん、豆さ転がって来《きい》えんかと尋ねたが、地蔵さんは何とも返事をしないのに、慾タカリ婆は勝手に地蔵さんの膝の上へのぼったり、手のひらへ上ったり、肩の上へのぼったり、頭の上へのぼったりして、とうとう梁の上までのぼった。そこへきのうのように鬼どもがぞろぞろと博奕打ちにやって来た。慾タカリ婆は、コケッコーと鶏の啼く真似を、地蔵さんが指図もしないのに三遍やって鬼どもの前へ下りて行ったら、鬼どもはウンと怒って、さてはきのうおれたちをだましたのはこの婆だな、と言って慾タカリ婆をさんざんにハタいて瘤《こぶ》だらけにしてしまったとさ」
[#ここから2字下げ]
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
[#ここで字下げ終わり]
老女の昔話の一くさりが終ると、きっかけに茂太郎がまた頓狂な調子を上げましたが、あたかもよし、その時に月が上り出したのです。
「ああ月が――」
船のうちが、ひとしく、いま海波の上にゆらゆらのぼりかけた月を見て、鳴りをしずめてしまいました。
田山白雲が水墨を取って、大きく紙面にうつした松島月影の即興図に、玉蕉女史は心得たりとあって、さらさらと次の絶句を走らせる。
[#ここから2字下げ]
高閣崚※[#「山+曾」、第4水準2−8−63]山月開(高閣|崚※[#「山+曾」、第4水準2−8−63]《りょうそう》として山月開く)
倒懸清影落江隈(倒《さかし》まに清影を懸けて江隈に落ち)
欲呼漁艇分幽韻(漁艇を呼ばんと欲して幽韻を分つ)
好就金波洗玉杯(好し金波に就いて玉杯を洗はん)
[#ここで字下げ終わり]
田山白雲は、それを見て、この閨秀詩人は字を合わせ韻《いん》をさぐることに、多くの苦心をせず、嚢中《のうちゅう》のものを取り出すように、無雑作《むぞうさ》にこれだけの詩を書いてしまったことに舌を捲かずにはいられません。婦人にして漢詩を作るということは、極めて珍しいことに属している。文鳳《ぶんぽう》、細香《さいこう》、采蘋《さいひん》、紅蘭《こうらん》――等、数え来《きた》ってみると古来、日本の国では五本の指を折るほども無いらしい。
だが、この当面の高橋玉蕉女史は、右の五本の指のうちのいずれに比べても、優るとも劣りはしない。更にその第一流と謂《い》えると考えざるを得ないで、そうして徐《おもむ》ろに酔眼をみはって、一応、右の絶句を黙読してから、さて、朗々として得意の吟声を試み出でようとしました。
[#ここから2字下げ]
高閣崚※[#「山+曾」、第4水準2−8−63]トシテ山月……
[#ここで字下げ終わり]
その発声の途端に、別の方から、また一つの吟声が無遠慮に飛び出して来ました。
[#ここから2字下げ]
春江潮水、海ニ連ツテ平カナリ
[#ここで字下げ終わり]
と、澄み渡った声で、白雲の出ばなを抑えたものがあったものですから、唖然《あぜん》として一時沈黙することのやむを得ない事態に至りました。その内容節調にして穏かなる二重奏でない限り、それが同時に起るとすれば一方が一方を乱すか、或いは一方が沈黙してしまうか、両者同時に相譲るかでなければ始末のつきようはずはないのであります。礼儀としてもこれは許せないことですが、相手が箸にも棒にもかからない代物《しろもの》だけに、白雲も面《かお》負けがせざるを得ません。
さすがの白雲をして、せっかくの朗吟を中止沈黙のやむなきに至らしめた無作法者の、清澄の茂坊であること申すまでもなく、白雲をして、中止沈黙のやむなきに至らしめたことをいいことにして、茂太郎がいよいよ独擅《どくせん》を発揮し、独擅といっても、元はといえば、内容節調みな白雲先生の直伝《じきでん》によるところのものに相違ないが――
[#ここから2字下げ]
海上の明月、潮《うしほ》と共に生ず
ゑんゑんとして波に随ふ千万里
何《いづ》れの処か春江月明なからん
江流ゑんてんとして芳《はう》てんをめぐる
月は花林を照して皆|霰《あられ》に似たり
空裏の流霜飛ぶことを覚えず
汀上《ていじやう》の白沙見れども見えず
江天一色繊塵なし
皓々《かうかう》たり空中孤月輪
江畔|何人《なんぴと》か初めて月を見し
江月いづれの年か初めて人を照せし
人生代々窮まりやむことなく
江月年々望み相似たり
知らず江月|何人《なんぴと》をか照す
ただ見る長江の流水を送ることを
白雲一片去つて悠々
青楓浦上愁ひに勝《た》へず
誰《た》が家ぞ今夜|扁舟《へんしう》の子は
何れの処ぞ相思ふ明月の楼
憐れむべし楼上|月《つき》徘徊《はいくわい》す
まさに離人の粧鏡台を照すべし
玉戸簾中まけども去らず
擣衣砧上《たういちんじやう》払へどもまた来《きた》る
此時《このとき》相望めども相聞えず
願はくば月華を逐《お》うて流れて君を照さん
鴻雁《こうがん》長く飛んで光わたらず
魚竜|潜《ひそ》み躍《をど》りて水|文《あや》をなす
昨夜かんたん落花を夢む
憐れむべし春半《しゆんぱん》家に還らず
江水春を流して去つて尽きんと欲す
江潭落月《かうたんらくげつ》また西に斜めなり
斜月沈々として海霧《かいむ》に蔵《かく》る
碣石瀟湘《けつせきせうしやう》限り無きの路
知らず月に乗じて幾人か帰る
落月情を揺《うご》かして江樹に満つ
[#ここで字下げ終わり]
これだけの詩を一句も余さず、清澄の茂太郎が、吟じ来り吟じ尽してしまったものですから、今度は、天地が動き出したほどに玉蕉女史が驚かされてしまいました。
まあ、この子は、何という子だろう、化け物ではないかしらとまで呆《あき》れ、
「まあ、田山先生、あの子は……」
と言ったきり、あとの句がつげませんでした。
「は、は、は、は」
と、テレきっていた田山白雲が高く笑いました。そうして釈明して言うことには、
「驚いてはいけません、あれが反芻《はんすう》の反芻たる所以《ゆえん》なんです、意味がわかって歌っているんじゃありませんよ、消化しきれない頭の中のウロ覚えが、興に乗じて飛び出して来るだけのものですが、知らない人は、ちょっと驚かされます」
「ですけれど先生、わけがわかるにしても、わからないにしても、これには驚かないわけにはゆかないじゃありませんか、勧学院の雀どころじゃありませんもの」
「は、は、は――門前の小僧のためにしてやられましたね」
「ほんとうに門前の後世|畏《おそ》るべしでございます、田山先生のお仕込みのほど、全く怖るべきものでございます」
玉蕉女史は、改めて、船べりをさまよう清澄の茂太郎を見直しました。が、茂公は、この閨秀《けいしゅう》の詩人をして舌を捲かせていることはいっこう御存じなく、例の般若《はんにゃ》の面は後生大事に小脇にかかえて、なおしきりに月に嘯《うそぶ》きながら、更に続々となんらかの感興が咽喉《のど》をついて出るのを、しばらくこらえているようでしたが、勢いこんで、
[#ここから2字下げ]
とっても
とっても
勿体《もったい》なくて
上られえん
とっても
とっても
[#ここで字下げ終わり]
右のように喚《わめ》き出したかと思うと、
[#ここから2字下げ]
さんさ時雨《しぐれ》か
かやのの雨か
音もせで来て
ぬれかかる
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
[#ここで字下げ終わり]
とうとう船べりで、足拍子を踏んで、片手を振り上げながら、面白おかしくおどり出してしまいました。
[#ここから2字下げ]
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
[#ここで字下げ終わり]
その狂態を指して田山白雲が、
「あれです――初唐の古詩をああして朗々とやり出すかと思えば、とりとめもないあのでたらめをごらんなさい、さんさ時雨を取入れたかと見ると、もう、たったいま耳食《じしょく》の昔話が織り込まれているのであり、何物でも一度|彼奴《きゃつ》の耳に入ったら助かりません――あの踊りだってそうです、無雑作のうちに、どこか節律があるんでしてね。だから、見ていて、なかなか面白いです。つい我々まで、あいつの踊りに釣込まれてしまうのです。黙って見ていてごらんなさい、興が乗り出して来たようですから、何をやり出すか見物《みもの》ですよ、何かの感傷で反芻が引出されると、全く思いがけない離れ業が飛び出すのです。御当人に分っていないのですから――歌う意味が分っていないのは勿論、この次に何が飛び出すかの予測が、歌って踊る御当人にもついていないのですから……」
白雲がこう説明して、この際、玉蕉女史に、暫く鳴りをしずめて、かの童子の出鱈目《でたらめ》に制限を加えないように心づかいを慫慂《しょうよう》していると、
[#ここから2字下げ]
玉だすき
うねびの山の
かしはらの
ひじりの御代ゆ
あれましし
神のことごと
かたへより
いやつぎつぎに
つがの木の
[#ここで字下げ終わり]
「そうら、ごらんなさい――さんさ時雨《しぐれ》が万葉に変りました。この次には、カッポレや隆達が飛び出さないとも限りません」
白雲が囁《ささや》くと、果せるかな、歌い手が急に韻文から散文に直下して、それから演説口調になりました、
「皆さん、今晩の月を見て、皆さんのお心持はいかようにお感じなさいますか。昔の歌人は、月見れば、ちぢにものこそ悲しけれ、我身一つの秋にあらねど……とうたいました。御同様にわたくしもなんとなく、悲しい思いがいたします。これはおそらくどなたでも、同じ思いでございましょうと思います、日本の人も、唐《から》の人も、それから西洋の人も……西洋のゲーテという人はこう言いました、楽しい、悲しい昔の思い出が心に満ちて、わたしはこの二つの世の間に、ひとり今宵さびしくさまよいます――と。皆さん、人情には変りありません、古今東西――眼の色が違うからと言って、月の色は変りません、月を見て感ずる心は同じだろうと思いますが、皆さんはいかがです」
これは、もとより、玉蕉女史に向って呼びかけたのでもなく、白雲に向って訴えたのでもないのです。月と海とを聴衆に見立てて、その波がしらに向って無心に演説を試みはじめたのです。
かと思うと、格調急に変じて、
[#ここから2字下げ]
ゼ、クイン、オブ、ナイト
シャ
前へ
次へ
全23ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング