ることだから、あえて異とするに足りないが、特にこの月見御殿の観瀾亭の床下を選んだというのは、どういう了見であるか。この床下の上には、田山白雲の憧《あこが》れの的《まと》となっている古永徳か、山楽かが、絢爛《けんらん》として桃山の豪華を誇っているのですが、七兵衛にとっては、特にこの床下が離れられないほどの魅力となるべき理由はなんにも無いはずです。七兵衛としては、別段、永徳でなければならないという見識も主張もないのですから、ところもあろうのに、この床下に昼寝の巣を選んだのは、偶然か、然《しか》らずんば何か商売上特別の便宜がなければなりますまい。
観瀾亭、一名月見御殿の床下――御殿の床下なんという名目が七兵衛の芝居ごころを刺戟して、ちょっと拈《ひね》ってここへ寝てみたい心持にでもなったのか(明治大正の頃、華族芳川伯爵家の令嬢が、その自動車の運転手と情死する前に泊った宿屋へ、わざわざ出かけて行って、それと同じ室へ一泊して気分を味わった人間もある)そうでなければここはこれ、太閤様|名残《なご》りの伏見桃山御殿のお間をそっくり移したということだから、大先輩の石川五右衛門氏が忍び込んだ手沢《しゅた
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