相当の理由があるのです。今こそ、石巻や塩釜に比べて比較にならない月ノ浦だが、歴史上の由来は深いものがある。昔、伊達政宗が、支倉《はせくら》六右衛門をローマへ使者として遣《つか》わす時分に、船出の港として選んだのがこの月ノ浦だ」
「なるほど、伊達政宗がローマへ使を遣《や》った時の船が、ここから出たのですか」
「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、寧《むし》ろここを我々の投錨地《とうびょうち》――次第によっては当分、第二の根拠地と想像して、予定してやって来たのですが、来て見ると案外でした」
「どう案外でした」
「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」
「どうしてそれがわかります」
「あの時は――政宗が拵《こしら》えた船は、幕府からも船大工十人の補助を受けてやった仕事なのですが、長さが十八間、幅が五間半、高さが十四尺、乗組は南蛮人を合わせて百八十人という多勢ですが、どうもこの地へ来て見ると、ここでそれだけの造船がやれそうには思われないのだ」
「なるほど」
「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業
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