るところまでは行ってなかったらしいが、駒井にとって、天の助けとも、渡りに船とも、なんとも有難い唯一無二の羅針となったものです。この男がいなかろうものなら、船は、難破せしめるほどのことはないにしても、ここまでの無事廻航はまず覚束《おぼつか》ない。或いは途中、不意にどこかへ寄港して、腹帯を締め直す必要はたしかに存していたと見なければならぬ。同時に、不意の寄港がもたらすところの不便や、誤解や、さまざまの障碍を想像すると、マドロスにあっては尋常茶飯《じんじょうさはん》の労務が、駒井には無くてならぬ依頼――船中の誰よりも、むしろ船の次には、その男が必要と認めないではいられなかったと思われる。
自然、今後の航海、その針路としてはまだ確定はしていないが、それは当然房州から仙台まで廻航して来た以上の難航が予想される。その際に於てのあのマドロスの必要は、全くかけがえのない絶対的のものである。伊豆系統の熟練な船頭はいるけれども、それは仕事の性質と経験が違う。そう思って見ると、許し難き放蕩《ほうとう》も許し、度し難き不埒《ふらち》も見て見ぬふりをしておらねばならなかった駒井甚三郎の苦衷というものが、白雲に
前へ
次へ
全227ページ中156ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング