田山白雲は、そこでまた写生帖の筆を進めて梅をうつしにかかりました。
「坊ちゃんは、どちらからおいでなさいました」
不意に、気のいい桶屋さんからたずねられて、茂太郎は、
「お船から」
「お船はどちらから?」
「房州の洲崎《すのさき》というところから」
「ほうほう、それは遠いところですね」
「遠いよ」
「そのお船は、今どこについておいでなさいやす」
「月ノ浦」
「ほいほい、月ノ浦、それもなかなかの道じゃござんせん、坊ちゃんはその月ノ浦から歩いてこれへござらしたか」
「小舟で来たよ」
「小舟で――七兵衛さんと一緒に?」
「ううん、七兵衛おやじは……」
と言って、茂太郎がハッと田山白雲の方を見返りました。
「知らないよ。さあ、ムク、行こう、オイセとチョウセ、オイセとチョウセ、オイセとチョウセ――」
こう言いながら一散に飛び出したものですから、ムク犬も、そのあとを追いました。
十八
それから暫くたって、再びお松がこの場へ来て見た時分には、茂太郎も、ムクも、無論いないし、写生に凝《こ》っていた田山白雲の姿も見えなかったが、例のイヤな桶屋さんだけは、抜からぬ面で頑張《
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