く、思案のはてが、いきなり、
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ゆく春や鳥|啼《な》き魚の目はなみだ
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と、ぶっつけ書きに、墨壺の水のゆるすだけを大きくなぐりつけて、そうしてその下に、魚と、鳥と、水と、木の枝とを描いて、ああこれでよしと心が落着き、ひとり感心しながら再び枕につきました。
何の理由で、田山白雲が特にこの句を認《したた》める気になったのだか、それはわかりません。ただこの場合、むやみにここへこの句を書いてみたくなったから、その衝動にかられて書いてみただけのものでありましょう。しかしながら、即興といっても、衝動といっても、人間は日頃心にないことを、自発的に発表するはずはありませんから、田山白雲は、日頃この一句が何がなしに好きで、記憶に溢《あふ》れていた結果と見なければなりません。
それでようやく、白雲の即興の昂奮もどうやら鎮静して、そうして枕につくや、ぐっすりと熟睡に落ち込んでしまいました。
二十六
その翌日、白雲は漫然と結束して宿を立ち出でると、早くも北上川の渡頭《ととう》の上の小高いところに立って、北上川の北より来《きた》って東南にのぼり流るる勢いに眼を拭いました。
「ははア、これが北上川だな――」
白雲はここで初めて、北上川というものの印象を新たにしました。
北上川そのものを見ることは今にはじまったことではないのです。現に昨晩泊った石巻の港が、その北上川の河口にあるので、今日はまたその沿岸を溯《さかのぼ》って来たのですから、北上川とは絶えず道連れになって来たのに相違ないが、ははア、これが北上川だなと印象を新たにして、例によって限りなき旅心を湧きたたせたのは、この渡頭に立った時が最初であると言わなければなりません。
立って北上川及びその彼方《かなた》、漠々と連なる陸奥《みちのく》の平野を見ているうちに、白雲は旅心濛々《りょしんもうもう》として抑え難く、やがて大きな声をあげて歌い出しました。
感|来《きた》って吟声が口をついて出でるのは、白雲も元来が多情多恨の詩人的素質を多分に持って生れたのみならず、これは清澄の茂太郎を育てつつある間に、それにかぶれたところもあると見なければなりません。その白雲の吟懐を、清澄の茂太郎がまた反芻《はんすう》して輪をかけるということになり、即興と出鱈目《でたらめ》とに於ては、師弟いずれが本家だかわからないくらいになっているのであります。
今や北上川の渡頭の辺《ほとり》に立って田山白雲が歌い出したのは(むしろ唸《うな》り出したのは)――
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「三代の栄耀《えいえう》一睡の中《うち》にして、大門《だいもん》の跡は一里こなたに有り、秀衡《ひでひら》が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。先づ高館《たかだち》にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川《ころもがは》は和泉《いづみ》ヶ城《じやう》をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡《やすひら》が旧跡は衣ヶ関を隔てて、南部口をさし堅め夷《えびす》をふせぐと見えたり。偖《さて》も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢《くさむら》となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまで泪《なみだ》を落し侍《はべ》りぬ。
夏草やつはものどもが夢の跡」
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これは、やはりこの土地の形勢によってうつされた文章でないことはわかり切っておりますが、白雲はどうしても、これをこの場で歌ってみたい気持になったのは、「まづ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川は和泉ヶ城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る」という気象がここでピタリと来たから、それでこの文章をここで高らかに吟じてみたくなったのでしょう。それは昨晩の屏風に、無性に「ゆく春や鳥啼き魚の目はなみだ」と書いてみたかった心持、時は、秋であるのに、往《ゆ》く春の心が抑えきれなかったのと、同じ衝動でありましょう。
そうしてまた、北上川なるものの相がいかにも汪蒙《おうもう》として、古調を帯びたところに、白雲の心胸が打たれないわけにはゆかなかったのでしょう。
こちらへ来る間にも、荒川だとか、大利根だとか、那珂《なか》、阿武隈《あぶくま》、近くは名取川に至るまで、大小いくつかの川を渡っては来ているけれども、この北上川へ来て見ると全く違った感じ――どうやら奥州の夷《えびす》――更に遠くは日高見の国をまで眼前に思い浮べ来ったものと見えます。
キタカミの文字がヒタカミの訛《なまり》であるという考証を仙台で聞いた。してみると、人文の未《いま》だ剖判《ほうはん》せざる上古、武内宿禰《たけのうちのすくね》や、日本武尊《やまとたけるのみこと》の足跡がある。キタカミとヒタカミは果して相通じているか知れないが
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