も顔馴染がいくらもある。
 そういうわけですから、駒井は、極めて無事安全に仙台城下に着いて、まず養賢堂の学頭を通じて、このたびの来着の挨拶をすると共に、当分、この地――月ノ浦に船をとどめて、修補に当りたいことの諒解を求めると、順調にその要望が達せられて、幾多の便宜が与えられるようになったのは、痩《や》せても枯れても直参《じきさん》の面《かお》であることを、駒井がいまさら認めないわけにはゆきません。
 仙台の有志では、この不時の珍客を歓迎して、相当の集まりを催す計画が起りましたけれども、駒井は悉《ことごと》くこれを辞退して、養賢堂の儒臣が送ろうというのも辞退して、そうして折返し月ノ浦への戻り道、松島へ来て瑞巌寺を訪れると、折よく典竜老師が臥竜梅《がりゅうばい》の下で箒《ほうき》を使っていたのを見かけました。
「これは、これは」
というわけで、招ぜられて客殿へ通ると、つい話が面白くなりました。
 老師を相手の昔話や、今時の物語が面白くなってきたものですから、駒井は、今晩はここに一泊ということにきめました。
 その夜、この大寺の客殿の間にひとり寝かされてみると、今晩こそ、全く異なった世界へ持ち来たされたような気持にならざるを得ません。
 海の上に、波の音と風の騒ぎにのみ苦労をして来た身が、この大寺の森閑を極めたる一間に置かれてみると、昨日は昨日、今宵は今宵、二つの極端な世界を、両端から歩ませられている我が身を、我が身でないように感じました。
 そこで急に落着いて眠ることができません。静かなところもいいが、急にあまり静か過ぎることは、また人の身心を安定せしめないことがある――なんだか、寝ぐるしいようだ。寝苦しさを妨ぐべき何物もないのに、寝つかれない。
 なるほど静かなものだなあ、まるで四方千里、人烟《じんえん》を絶した山谷《さんこく》の中に置き放されたような心持がする。静寂といったところで海は直ぐそこだし、町も、城下も、そんなに遠いところではないが、洞然として森閑なる思いが身に迫るのは、寺が大きいからだ。
 駒井は寝ながら、行燈《あんどん》の光で、高い天井と、がっしりした木口をながめて、今更のように瑞巌寺の規模というものを考えさせられざるを得ませんでした。
 本来、駒井甚三郎は、科学工芸――ことに造船だの、新式兵器だのということに就いては、深甚《しんじん》なる研究も興味も持
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