や、野心の程度などについては、多くの疑問が残されている、月ノ浦の地形を見て、いよいよその問題が大きくなってきたところだ」
「そうだろう、独眼竜、あいつ、なかなか食えない奴だからな」
と田山白雲が、伊達政宗を友達扱いででもあるように言い放ちますと、駒井甚三郎が、
「そうです、政宗はなかなか食えない男です、邪法|国《くに》を迷わすなんぞと、詩にまでうたっていながら、その事実、宣教師を保護し、切支丹《きりしたん》を信じていたのですな。信じていないまでも、決してローマの法王なる者に悪意は持っていなかったのです。或いは切支丹を食いものにしようとした男かも知れません」
「そうでしょうとも。風向きによっては、秀吉や家康をさえ食い兼ねない男でしたから、切支丹を食うぐらいは朝飯前でしょう」
「それは少し比較が違う、秀吉や家康は、或いは食いものになるかも知れないが、切支丹は全然食いものにならん。これを迫害しないで、利用しようとした点に、政宗の頭脳《あたま》のよさ[#「よさ」に傍点]を認められない限りもない。あの時代、秀吉を除いて、本当に海外に志のあった豪傑は、まず政宗でしょうかな――近世の奇物、林子平《りんしへい》なんというのも、たしかに政宗の系統を引いている。他の土地からは出ない人物だ」
というような人物論からはじまって、白雲もまた、古永徳《こえいとく》に惹《ひ》かされて、こちらを志した行程から、仙台城下の所見を語り出し、結局――このはからざる奇遇を喜ぶと共に、この奇遇の結びの神たる七兵衛の身の上に、話が落ちて行かないはずはありません。
実は、もっと早く、二人ここで相見た最初の時に、引合せの老爺《おやじ》のことから緒《いとぐち》が開かれなければならない順序なのですが、船のことが先になって、次に人物論に花が咲いたものですから、勢い七兵衛おやじのことは、最後の時に繰りのべられてしまいました。
「名取川で、蛇籠《じゃかご》を作っていた怪しい老爺――あれには全く度胆を抜かれましたよ、あなたの御家来に、あんな怪物がいようとは思いも及びませんでした、あれには怖れました」
田山白雲が全く恐れ入ったもののようにこう言うと、それを引受けたのは駒井甚三郎ではなく、傍らに介添役のお松でありました。
「そのおじさんは、それからどうなさいました」
「いや、おっつけここへ来るには来るはずなのだが、一つ土産を
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