あるならば、それは雲際から降りて来る人でなければならぬ。
 甲板に立つ人が幾つの眼を集めて見たからとて、こちらへ来る人の影は――といううちに、土地の海女《あま》や漁師は別として、田山らしい、白雲らしい人の影は、いずれにも見えはしない、茂公の出鱈目がはじまった、これでまあ、天気も変らないで済む――といったような、一種の気休めを与えるだけの効はありました。

         十一

 茂太郎の予報から約|一刻《ひととき》も経て、果して田山白雲の生《しょう》のものが、月ノ浦の港の浜辺に現われて、船をめがけて大きな声をあげました。
 心得て、ボートが迎えに来る。親船について、白雲は駒井の案内で、なにもかも目新しく、物珍しい目で船の内外を見廻しながら、船長室に伴われて、そこで二人の会談がはじまりました。
 介添《かいぞえ》には、お松が時々出てあしらう。
「駒井氏、せっかくここまで来たからには、どうして、目と鼻の間の石巻へ船をつけないですか――月ノ浦なんて、こんな辺鄙《へんぴ》なところへわざわざもや[#「もや」に傍点]ったのは、どういう了見ですか」
「左様、この月ノ浦を選んでこの船をつけたのには相当の理由があるのです。今こそ、石巻や塩釜に比べて比較にならない月ノ浦だが、歴史上の由来は深いものがある。昔、伊達政宗が、支倉《はせくら》六右衛門をローマへ使者として遣《つか》わす時分に、船出の港として選んだのがこの月ノ浦だ」
「なるほど、伊達政宗がローマへ使を遣《や》った時の船が、ここから出たのですか」
「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、寧《むし》ろここを我々の投錨地《とうびょうち》――次第によっては当分、第二の根拠地と想像して、予定してやって来たのですが、来て見ると案外でした」
「どう案外でした」
「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」
「どうしてそれがわかります」
「あの時は――政宗が拵《こしら》えた船は、幕府からも船大工十人の補助を受けてやった仕事なのですが、長さが十八間、幅が五間半、高さが十四尺、乗組は南蛮人を合わせて百八十人という多勢ですが、どうもこの地へ来て見ると、ここでそれだけの造船がやれそうには思われないのだ」
「なるほど」
「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業
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