地として手段方法を案じはじめたのです。

         二十五

 つらつら地図を按ずると、どうもなんとなく、第六感的に、北東部が気になってならない。ここから北東部といえば、北上川の支流にあたる追波《おっぱ》、雄勝《おかち》方面と、それから自分がいま経て来た万石浦《まんごくうら》から、女川湾《おんながわわん》をいうのです。
 七兵衛の逃げた方面というのは、全然雲を掴《つか》むようなものだが、絶体絶命の場合には、方角を選ぶ余裕は無いにきまっているが、しかし、彼の本心の磁石は、必ずや月ノ浦の無名丸に向っているに相違ない。一旦はやみくもにどちらへ逃げようとも、やがては、月ノ浦をめざして慕い寄ろうとする心持はよくわかるから、西南北へ向って遠く走り過ぎる心配はない。マドロス並びに兵部の娘らしいのが、万石浦を小舟で渡ったというのを見た者があるというから、これは、いずれその辺の、木の根、石の蔭に当分こらえていて、たまらなくなれば這《は》い出すのだ、この方は発見にそう骨が折れない! と、田山白雲は最初からタカをくくっているのです。
 いずれにしても、円心はこちらにある、牡鹿《おじか》、桃生《ももふ》、志田、仙台の界隈《かいわい》をそう遠く離れるに及ばないということを、白雲は白雲なみに断定して、漫然とこの北上川の沿岸を漂浪しているうちには、何とか手がかりがあるだろう。奥羽第一の大河としての北上川の沿岸をぶらついているうちに、その風光を画嚢《がのう》に納めなければならない。本来はこの方が本業なのだが、ここに白雲の仕事がまた一つ加わって、つまり、一石四鳥の目的のために、当分はこの辺をぶらついて、ということに思案を定めました。
 その思案が定まった時分に、番頭が蔵《くら》から七兵衛おやじからの預り物、つまり、房州洲崎の暴動の際に、手早く、かき集めて、ここまで持って来てくれた白雲の財産――といっても、写生画稿が主であって、一般経済の上には大した価値のある代物ではないが、自分の丹精の無事なのを見て、
「これ、これ――まず、これで安心」
 白雲は、一応あらためてみて大安心をして、その荷物をまた一からげ、帰りまで更に保管を託して置くことにしました。
 そうして、夜具をのべてもらい、枕に就くと女の子が、六枚屏風を持って来て、立て廻してくれました。六枚屏風は少し大形《おおぎょう》だと感じましたが、
前へ 次へ
全114ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング