放蕩漢と言えば言われる。多くの人が、この種の放蕩漢になれないのは、前に言う如く、まず恋愛を教えられたその枷《かせ》なので――恋愛あるが故に妻があり、妻あるが故に子があり、子があるが故に隣り社会のお附合いに柔順にならなければならない弱味を、人間というものが体得してくる。そうして、人間は完全に原始人への逆転を防止されて、善良なる国民に馴致《じゅんち》されると共に、自己本来の旅心は極度の暴圧を蒙《こうむ》っている。古来、人間に加えられた重大なる抑圧と、苛辣《からつ》なる課税の筆頭は恋愛でありました。
 石巻へ来て、ともかく、ここで一泊の上、一石三鳥の使命を再検討しなければならない自省心によって、白雲の漂浪性が取りとめられたようなもので、もしこのことなくば、白雲の今度の旅にも全く糸目というものがなく、このまま三日月の円くなり、明月の三日月になるまで、南部領あたりを巡っていたかも知れないのです。
 石巻の港の、田代屋とある宿へ泊りを求めて、さて、第一次に為《な》すべきことは、よき道案内の地図を求めることでした。相当の絵図は、船で駒井の文庫から写し取って来たものの、内地のくわしいのになると、その土地で求めるか、或いは実地について、聴取図、見とり図のようなものを作って置いてかからねばならぬ。
「絵図はあるかな、奥州一国の全図でもよし、この附近の郡村の地図でもよろしい、何でもいいから一つ貸してくれないか」
 こう言って宿へ頼むと、
「うちには、いい絵図はござりませぬ――この間、お客様が置いてござった絵図が一枚ありましたはず、あれをごらんに入れましょうか」
「何でもいいから見せてくれ」
「持ってまいりましょう」
 女の子が絵図を持って来た。それで見ると、仙台領の南の部分、松島から石巻、牡鹿半島の切絵図――あまり上手でない手つきで、棒を引いたり、書入れをしたりしてある。
「結構結構、少しの間、貸してくんな」
 白雲は、その絵図を篤《とく》と見入りました。そうして、自分のこしらえて来た図面と参照して、多少の書入れをする。
 そのうちに、絵図面の終りの方を見ると、同じ手筆《しゅひつ》で、
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「清澄村 茂太郎所持」
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と書いてある。
「おやおや、ここにも茂太郎がいたぜ、同じく清澄村の住人……」
 田山白雲は、これを、先頃の笠島の道祖神の絵馬と思い
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