昔話が織り込まれているのであり、何物でも一度|彼奴《きゃつ》の耳に入ったら助かりません――あの踊りだってそうです、無雑作のうちに、どこか節律があるんでしてね。だから、見ていて、なかなか面白いです。つい我々まで、あいつの踊りに釣込まれてしまうのです。黙って見ていてごらんなさい、興が乗り出して来たようですから、何をやり出すか見物《みもの》ですよ、何かの感傷で反芻が引出されると、全く思いがけない離れ業が飛び出すのです。御当人に分っていないのですから――歌う意味が分っていないのは勿論、この次に何が飛び出すかの予測が、歌って踊る御当人にもついていないのですから……」
白雲がこう説明して、この際、玉蕉女史に、暫く鳴りをしずめて、かの童子の出鱈目《でたらめ》に制限を加えないように心づかいを慫慂《しょうよう》していると、
[#ここから2字下げ]
玉だすき
うねびの山の
かしはらの
ひじりの御代ゆ
あれましし
神のことごと
かたへより
いやつぎつぎに
つがの木の
[#ここで字下げ終わり]
「そうら、ごらんなさい――さんさ時雨《しぐれ》が万葉に変りました。この次には、カッポレや隆達が飛び出さないとも限りません」
白雲が囁《ささや》くと、果せるかな、歌い手が急に韻文から散文に直下して、それから演説口調になりました、
「皆さん、今晩の月を見て、皆さんのお心持はいかようにお感じなさいますか。昔の歌人は、月見れば、ちぢにものこそ悲しけれ、我身一つの秋にあらねど……とうたいました。御同様にわたくしもなんとなく、悲しい思いがいたします。これはおそらくどなたでも、同じ思いでございましょうと思います、日本の人も、唐《から》の人も、それから西洋の人も……西洋のゲーテという人はこう言いました、楽しい、悲しい昔の思い出が心に満ちて、わたしはこの二つの世の間に、ひとり今宵さびしくさまよいます――と。皆さん、人情には変りありません、古今東西――眼の色が違うからと言って、月の色は変りません、月を見て感ずる心は同じだろうと思いますが、皆さんはいかがです」
これは、もとより、玉蕉女史に向って呼びかけたのでもなく、白雲に向って訴えたのでもないのです。月と海とを聴衆に見立てて、その波がしらに向って無心に演説を試みはじめたのです。
かと思うと、格調急に変じて、
[#ここから2字下げ]
ゼ、クイン、オブ、ナイト
シャ
前へ
次へ
全114ページ中70ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング