かく、茂太郎の破調が、ちょっと船の中を驚かせました。
「茂、静かにしろよ」
 田山白雲は、うつろ心で叱ってみたけれども、茂太郎は頓着なく、
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オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
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 この即興と反芻《はんすう》とを兼ねた小天才は、この単句をどこから見つけ出したか知らないが、しきりに繰返しては小船の縁をゆすぶっている。
「茂、静かに」
 白雲が叱るけれども、この場合はあまり権威がなかったのです。それは玉蕉女史との応酬唱和の興があまりに濃厚であったから、その叱る言葉も、ついつい上の空になって、相手にはこたえないらしい。
 それを見兼ねて、物慣れた玉蕉女史介添の老婦人がさし出て来ました。
「坊ちゃん――おもしろい話をして上げますから、こちらへいらっしゃい」
と、茂太郎をあやなしにかかる。
「面白い話」
「あい」
「おばさんがおもしろい話と思っても、人が聞いては面白くないこともありますよ」
「そりゃありますがね、今おばさんがして上げようという話は、この仙台の人でなければ知らない話ですから、よそからおいでた方が聞けば面白いにきまっていますよ」
「仙台の昔話が、そんなに面白いかえ」
「ええ、面白いですとも」
「話してみて頂戴、あたいは、面白くないと思えば決して辛抱して聞かないから」
「こちらへいらっしゃい、話して上げますから」
 こうして老女は、茂太郎を自分に近いところへ呼び寄せて坐らせ、それから奥州の昔話をはじめました。
「むかしむかし、ざっ[#「ざっ」に傍点]と昔」
「むかしむかし、ざっ[#「ざっ」に傍点]と昔」
「あるところで婆《ばば》が座敷を掃いていたら、豆が一粒落ちていた。婆が拾うべとしたら、豆はコロコロと転がって行った。婆が拾うべと思って追いかけて行ったら、どこまでも転がって行くので、婆は『豆どん豆どん、どこまでござる』と言って道端《みちばた》の地蔵さんのお堂の中で見失ってしまいました」
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豆どん豆どん、どこまでござる
豆どん豆どん、どこまでござる
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 茂太郎は声高く歌い出しますと、それを抑えて老女は語りつぎました。
「そこで婆は地蔵さんに、『地蔵さん地蔵さん、豆が転がって来《きい》えんか』と尋ねますと、地蔵さんが、おれ喰ってしまったとお返事をしたので、婆は帰
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