がんば》っていたものですから、うんざりせざるを得ませんでした。
 そこでお松は、田山白雲をと思って、庫裡《くり》から客殿の方をたずねてみましたけれども、今日は早帰りをしたと覚しくて、杖も、下駄も見えません。
 また庭へ戻って見ると、イヤな桶屋さんは相変らず頑張って、こんどは聞きたくもない鼻唄まじりでいるのが、いよいよ憎らしい。といって、退《ど》いて下さいとも言えず、ぜひなくお松はまた舞い戻って、ではともかく、一旦は宿へ引取ってからと思いました。
 遠くもない新月楼へ来て見ると、田山先生も先刻お戻りになったにはなったが、お客様からお誘いが来てどこへかおいでになったとのこと。お松は部屋へ戻って、ひとまず休息して、また出直そうと思いました。
 だが、出直すにしても、桶屋さんがあの調子では手もとの見える間は、あすこからみこしを上げそうにもない。しかし、いかに頑張ることが好きな人とはいえ、夜になればイヤでも仕事をやめて立ち上らなければなるまいから、いっそ夕方まで我慢して、黄昏時《たそがれどき》に行けば間違いはない――とこう思案して、お松は焦立《いらだ》つ心をおさえながら、田山白雲のためにも、何かと夕餉《ゆうげ》の仕度をととのえたり、部屋のうちを片づけたりして待っておりました。
 しかし、白雲先生も今日はまたイヤに気が長い、お連れが出来てどこへか行かれたそうですが、そのお連れはどちらの方か、いつぞや案内をうけたという、仙台の女学者で高橋という先生ででもありはしないか。
 そんなことを考えている間に、いつしか日も海に沈みました。
 もうよい時分――と、お松が例の包みを抱えて外へ出た時分に、月が上っていました。月が松島湾の曲々《くまぐま》を限りなく照していました。まあ、こんないい月夜を、日本の国で一とか二とか言われる風景のところでながめながら、自分というものの身もはかないものだと――お松は岸に立ったなり、何となしに涙がこぼれてまいりました。
 思えば、あの大菩薩峠の上の出来事以来、自分の身世《しんせい》も、あちらに流れ、こちらに漂うて、幾時幾所でいろいろの月をながめたが、この世に自分ほど不運なものは無いとは言わないが、自分というものもまた、あまり幸福にばかり迎えられた身とは思えない。京島原の月、大和《やまと》三輪初瀬の月、紀伊路の夜に悩んだこともあれば、甲斐の葡萄《ぶどう》をしぼる
前へ 次へ
全114ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング