ものの有する権能が、それにハープを与えさえすれば、ある点まで人生の秘奥が開放されてしまうという危険――ヤスヤナポリヤナの聖人は、これがために渾身《こんしん》の恐怖を感じている。孔夫子でさえも、その人によってその楽《がく》を捨てず、とはまだ道破していなかった。自ら感ぜさせたものが、人を感ぜしめるところの烈しい魔力。
 天上に導く力があるものは、また地上に叩き落す力もなければならない。
 吹き終った時、怖ろしいほど長い沈黙が二人の間に続きましたが、その後に、関守が感慨深く言いました、
「われわれ世捨人にとって、鈴慕の曲ほど罪な曲はありません――」

         七十六

 何が、どう緒《いとぐち》になったか知れないうちに、関守の懺悔話《ざんげばなし》となりました。
「やつがれが漂浪の身も、もとはと言えば恋からです。恋も、尋常の青春の戯れというようなものではありませんでした、血の出るような恋愛――つまり、不義の恋であったのですな。もとより、主ある人の妻を犯したのです」
「…………」
 竜之助は、関守の己《おの》れを曝露することに対して呻《うめ》きました。
「まあ、お聞き下さい、こんなことは話をするのも愚かの至りですけれど、この愚かさを引出したのは、あなたの鈴慕です。あなたの鈴慕は、人をして天上にあこがれしめないで、地上に引落す鈴慕でしたから、是非もありません。そこで……」
 それを前置にして関守は、次のような長話にうつりました。
「拙者が、若い、まだ二十台の時分でした、拙者の友人に妻がありました、その時は拙者にも、もはや女房があったのですが、その友人の妻は、家中でも一二と言われる美人でした、美人でそうして貞淑な、ほんとうに奥様として申し分のない女でありました。その友人というのが、無論、拙者には竹馬の友でして、鈍重な男ではあるが、軽薄才子ではありません。おたがいは兄弟同様の交りをつづけていたものですが、その友人の妻と夫との間は、それよりも親しいものでした。親族関係はないが、双方の親たちが許して、子供の時分から友人の家へ引取って、生活を共にしているものですから、当人たちは他人ということも、行末は夫婦というものになるのだということも、よく知っておりながら、その感情は、兄妹と同じように熟してしまっているのですから、いざ結婚ということが、少しも感激になりませんでした。要するに一つの儀式に過ぎないものになって、それを通過した後は、やっぱり兄妹と同じことの親密さ以外の何物も味わえなかったし、また二人としては、味わおうとも期待していなかったし、味わうべきものでもなんでもないと、世の中の夫婦関係というものには、親密以外の何物もあるのじゃないと、もう、ほとんど先天的みたように、そう思いきって暮していた間へ、拙者というものが現われたのです。いや、拙者が現われたのではなく、この短笛――この一管の曲者《くせもの》が魔風《まかぜ》を吹きこんでしまいました」
 関守は手をのべて、竜之助の下に置いた尺八を、自分の手に取戻して、話をつづけました。
「昨晩のような清風明月の夜の合奏が、そもそも事を起させる夜でありました。そのいきさつのくわしいことは申しますまい、それより拙者も恋をする人になりました。しかし、相手方の愛は、こちらよりも一層哀れなるものでありました。彼女は、はじめて恋愛というものがこの世の中に存在しているということを知ったのです――拙者の方は、必ずしもそうではありません、その時の自分の女房とも恋愛に似たものを経験していたし、その以前にも……とにかく、夫婦というものを、兄弟とより以外の親密に置くことを知らなかった女が、魔の如く、鬼の如く、火の如く、水よりも烈しい、曠初以来、人間を手玉に取って、炎々たるるつぼの中へ投げ込むところの、投げこまれて悔ゆることを知らない恋愛という怖ろしい力に、生れて初めて当面した、友人の妻の力というものは、哀れにも大きなものでありました。拙者とて、若い身空ではあり、もとより日頃より嫌ではないという感じを持っていた、しかも本当の意味での美人らしい美人でしたから――憎かろうはずはないのです」
 関守は感情に圧迫されたように、言葉を区切り、やがて、渋茶を一ぱい飲んで咽喉《のど》をうるおし、
「こういうことの結果は、たいてい世間に見られる通りの破滅の道に急ぐのが通例でしたけれど、幸か不幸か、この怖ろしい二人の間の魔力が、全く予想外に無難に進んで行きましたのは――友人は竹馬の友で、拙者を少しも疑っていない、よし疑っていないまでも、自分の女房に対しての自覚と、特別の愛情とがありさえすれば、おのずから警戒という心が生ずるものなのですが、その友人は全く警戒をしていないのです。自分の女房にあやまちがないと絶対信任しているというよりは、女房があやまちをしたからといっても、それを咎《とが》め立てするほどに女房に対して隔意を持っていないほどに親密――とでも言った方がよいでしょう。ですから、二人の間の火の出るような関係が、少しもさわりなく――そうしてまた友人の妻も、それをよいこととは信じていなかったであろうが、衷心《ちゅうしん》から悪いこととは信じきれないで、愛せねばならぬ人を愛することも、恋せずにはいられない人を恋するのも同じことである――そこで、この奇妙なる関係が、妻は妻として今まで通りに夫を愛し、新たな愛人は愛人として、渾身《こんしん》のあるものを捧げるということに矛盾を感じていなかったようです。ですから、拙者を愛してもまた、彼女は貞淑善良なる友人の妻であることを失いませんでした。拙者としてもまた、おのずからの力で、こう進められて行ったその力に抗しきれないだけで、友人の妻を奪ったとか、おくびにもその痛快をひらめかすとか、嫉妬を煽《あお》るとかいうような振舞は少しもしないで、竹馬の友は竹馬の友として昔に変らず、表面の交際をつづけて行ったのですから、二人は、もう不義の恋ですが、今でも拙者は、不義とはどうしても覚りきれませんが、本当に溶けるような甘い思いを味わって行きました。いや、こんな話は、お聞かせ申すべきはずではござらぬが、さいぜんも申す通り、拙者をして、語るべからざることを語らしむるように誘発された責めは……あなたにある、いや、あなたの鈴慕がそれをそうさせたのだから、拙者として語りつくすところまで語り尽さなければ、話端《はなし》の業がつきないのです。まず、お茶を一つ召上れ」
 渋茶を竜之助にもすすめ、自分もまた飲んで後に語りつづけました。
「ところが、その道ならぬ恋を、どこまでも奥深く味わい尽させるように、我々の環境が出来ていたというのは、拙者の女房です――拙者の女房も、決して悪い女ではありませんでした、家中で身分のいい家の娘で、拙者とは多少の恋愛感情と、相当受難をもって出来た間柄ですから、拙者は、友人の妻との関係が出来てから、友人そのものに対する感じよりも、自分の妻に対して、済まないという良心の働きが先でしたけれども、女というものは、そういう感覚はいっそう鋭敏であって、拙者が良心に済まないと感ずる先に、拙者の挙動を見抜き、感じぬいていました。そこは女ですから、大いに悲観して、拙者の上に重い感情の圧迫が下りましたけれど、拙者は、もう覚悟して、女房に向って一切を打明けてしまったのです。それがよかったのか、女房が賢かったのか――それから以後、女房がかえって我々に同情してくれるようになりました。それは女のことですから、事に触れては感情がいら立ったようですけれども、一面にはまた友人の妻と、拙者との間に同情して、二人の間をかばってくれる――という行き方もありました。自分の夫が、自分に対しての愛を失わない限り――二人の間を黙認する、そういう折合いが、拙者と女房の間に熟して行って、冗談《じょうだん》と、からかい気分でも、おたがいの関係をあしらえるほどになって行き、拙者の女房は内心で、家中一二を争う美人、殿様でさえがお気があって物にならなかった女が向うから落ちて来たという自慢――女には強烈なる嫉妬心と共に、こういう変則な自負心もあるものなのです。わが夫なればこそ、もの[#「もの」に傍点]にできない相手をもの[#「もの」に傍点]にする――もとより、そんなことを自慢|面《がお》に口の端にのぼせるわけではないが、そういったような感情さえも拙者には見られるほどに、おたがいの心は打解けて行ったのだから、四人二家族は、もう他人のような感じはしないのでした」
 今まで、尺八を構えた姿勢で坐って聞いていた竜之助が、ごろりと横になって、肘枕《ひじまくら》にあちらを向いたのはその時のことです。
 話題をさまたげる何物もない以上は、ここまで語れば、いやでもその行く道を語りつくさねばならない関守の告白、じっとしている限りは、受けきれても、受けきれなくても、受けねばならぬ竜之助の立場であります。

         七十七

 関守は炉の薪を加えながら、綿々として語りつづけました――
「こうして、我々の間は無事に、沈黙と、黙許と、妬心《としん》の間の諒解《りょうかい》と、愛の分割と集中とを自由に許される気持のうちに、夢のような、飯事《ままごと》のような、また何ともいえない甘苦しい陶酔のうちに、それでも無事に日は進行して行きましたが、ここに許さない故障が一つ湧き起りました、それは世間というものです」
 鉄瓶がちんちんと沸騰してきたから、関守は火箸をあげて、ちょいと蓋《ふた》のつまみを外《はず》して置いて、
「世間というやつほど、お節介《せっかい》なものはないのです――本来、こうして、我々当事者間が無事に進行して行きさえすれば何のことはないはずであるのに、利害も、感情も、関係のないはずの世間というやつが、かぎつけて騒ぎ出しました。まことによけいなことです、平地に波瀾を起すのはまだよいが、溝の中を掘りさげて、溝泥《どぶどろ》を座敷の中に蒔《ま》き散らすようなことをして、そうして世間というやつは、いっぱし正義を行い、道徳を保護しているのだという気になるのだからたまりません――誰いうとなく、我々の間が世間の口の端《は》にのぼると、その口の端が口火をつけて、二人の最寄りのところから、手づめの圧迫が起るようになって来たのです。すなわち一方は友人の親戚の者――一方は拙者の妻の身よりのものです。友人は右に言う通りの心理状態であり、拙者の妻は同情を以てかばい合うというほどに打ちとけているにかかわらず、これではいけないと、火事の火元でも見つけた気になって騒ぎ出したのが、世間というお節介で、それに油をそそぐのが親類という御親切者です。この二つの火の手で、我々の善良な二つの家族が無惨に焼き亡ぼされたのみならず、いくつの人命の犠牲までが現われたというのは愚の極、劣の極――これは世間の罪です」
 世捨人としての関守が、世間をのろうようなことを言い出したのも話の順序でしょう。
「世間というやつは、なんでこういうお節介なことをしなければならないのか、今では、それも相当にわかっていますが、その時は血気盛りでしたから、むやみに憤慨しました。いったい、家中の面目だの、武士の道義だのと言うけれど、殿様――つまり国主大名といったような連中にも、家臣の女を自由にするはもとより、その妻を犯す者がいくらもある、それは大抵無事に塗りかくしてしまって、我々の純なる、おたがいに許し合ってさまたげのない仲を、わざわざあばき立てて、どうしようとするのだ。しかし、憤慨したところで、上りはじめた火の手はいよいよ強くなるばかりで、二家四人を取囲んで、むしむしと焼き立てました――こう周囲から煽《あお》られると、いやでも自火になることを免れられようはずがありません、こうして我々は、内外共に破滅の時が参りました」
 関守がそこで長大息をして、
「その結果がついに、世間の手で友人の妻を殺してしまいました、夫の膝を枕にして友人の妻は、自分の手で自分の生命《いのち》を、武士の妻らしく処決してしまいましたけれども、実は世間というものが殺したのです。
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