》の前の仕事が、昨日買って来た拓本を開いて見ることでした。
 食事が終ると、もう他事は忘れてしまって、右の拓本を前に、机に向って墨をすりはじめました。これから一心に書道|三昧《ざんまい》の境に入ろうとするのであります。
 昨日、馬道の本屋から探して来た拓本が二通あります。
 主膳は、朝食前からつくづくとそれを眺めていたが、ここに至ってその肉細の方の一本を前に置いて臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1−84−88]《りんぼ》を企ててみたものです――
 暫くの間というものは、その肉細の拓本に向って一心に臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1−84−88]を試みていたのですが、
「どうも、いけねえ、やれそうでやれねえ、見ているとこのくらいやれそうで、やってみるといよいよむずかしい」
と言いながら、手本と自筆とをしきりに見比べていましたが、
「駄目だ、見れば見るほど手本が上って、自分のが落ちて来る、全く及びもつかないというやつだな」
 こう言って、もう、その肉細の拓本の臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1−84−88]を諦めてしまったようです。
 ここにただ肉細の拓本とだけで片附けてしまっているが、その何人の原筆になるのだかは主膳もよく心得ずに購《あがな》い来《きた》ったものであります。
 心得ずに購い来ったというものの、手当り次第に不見転《みずてん》で買って来たのではありません。
 これは、確然として、支那の名筆の一つであるということだけは見極めをつけて、特に択《えら》んで買って来たものであります。弘法まがい、良寛直筆なんていうものは、てんで受附けようともしなかったほどの主膳が、わざわざ多数のうちから選択して買って来たこの二通の拓本は、決して無鑑識の品とは言われないものであります。
 まず、最初に説明しなければならぬのは、主膳はこのごろ、書道に於てこういうことを考えはじめているのです。
 どうも、楷書《かいしょ》を本格に手に入れてからでなければ、書道を語ることはできない。出直せ、出直せ。それを痛切に主膳が考えておりました。山陽だとか、小竹《しょうちく》だとか、海屋《かいおく》だとか、広沢《こうたく》だとか、そんなことがいけない。本当に書をやるには、本家本元の本格のものに就いて正楷を本当に叩き込まなけりゃならぬ。今まで自分のやっていたのは、殿様芸にも足りない、我儘《わがまま》と気任せを得意になってのたくらせていたようなものだが、ようやく、書の味が少し深くなって来ると、自分のものはもちろん素臭紛々たるものだが、いわゆる玄人《くろうと》のものといえども和臭紛々――壁隠しにしてさえいい気はしない。ましてお手本なんぞ論外である。
 本当に書道を楽しむなら、今までのものをきっぱりと捨てて、全く出直さなければならぬ、それには日本の書家については駄目だ、支那の本格のものに就いて、本格に――特に楷書から――主膳はこういう自省に到達していたのです。
 そこで、昨日の馬道の本屋あさりも、右の持論によって、よきお手本を探し出そうとの目的でありました。そうして選に入ったのが、右の二通の拓本でありました。
 更に右の二通を選び出した目安というものが、支那の本場もよろしいが、秦漢《しんかん》だとか、六朝《りくちょう》だとか、稚拙だか豪巧だか知らないが、あれはちょっと近寄れない。そうかと言って、ずっと後世になっては有難くない。そこで主膳は一生懸命になって、唐代あたりに目安を置いて、そうして右の二通の拓本をあさり出して来たものでありました。
 たしかに初唐――と主膳の鑑識のあやまたなかった点は感心でありましたが、なにしろ右の拓本といえども完本というわけではなく、残欠を多数の中から漁《あさ》って来たのですから、風格は確かに初唐であっても、筆者は何の誰人であって、文章は何をうつしているのかという点には甚《はなは》だ不明瞭の思いを以て、買いは買って来たのです。
 そうして、今朝来、幾度か玩味しながら、右の拓本のうちの肉細の一本に向って臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1−84−88]《りんぼ》をはじめたのですが、手をのべれば届きそうで、追えばいよいよ遠いことを知るに及んで、筆を投じたものでした。
 そのうちに、彼は拓本を幾度か見比べ見直し、印章のあたりに眉をすりつけたりなんぞして、
「とうてい及びもつかねえ――」
 ついにそれを抛《なげう》って、次にやや肉太な他の一本を取って、同じく臨※[#「(墓−土)/手」、第3水準1−84−88]を試みたが、この方が主膳の趣味筆力にも合致するものがあるようなので、大乗り気になって、且つ写し、且つ眺めて、我を忘れているのであります。
 そこで主膳は、この肉細の方の楷書は、まだ手前共の歯に合うものでないとしてしまって、暫くこの肉太の方を師友として、あがめ侍《かしず》くようにしようとの課目をきめてしまったようです。
 そうして、筆をさし置いて見ると、いずれをいずれとして、原本の筆が見れば見るほど絶妙だと感ぜずにはおられません。今まで自分が師事し来っていた法帖類は、全く顔色が無いのです。
 僅々《きんきん》たる残欠頁の拓本でさえこの通りの光がある。支那はエライ国だ、支那といえども外国は外国に違いないが、近ごろはやりの毛唐とは品が違う。赤ひげの毛唐はみみずのように横へ筋をのたくらせることのほかには何を知っている。
 支那という国は全く底の知れないエライ国だ、日本人もこれ、支那から文字を持って来て書いていること千有余年に及ぶが、こういう字を書ける奴があるか、平安朝の最初時分の二三人を除いては全く格段の違いだ、ことに近頃の学者や書家共の字ときたら――何だ、お話にもなんにもなったものではない。
 主膳はほとほと、この二つの拓本を見て感に堪えてしまって、しかしまあ、いくら本場だといって、これほどに書ける神様がそう幾人もあるべきはずのものではない、ここいらは本場のうちでも、絶品に近いものに相違ないが、いったい、この筆者は誰なのだ……
 本屋の番頭なんていうやつは、近ごろ半可通がチヤホヤ言うものだから、良寛たら何たらいう田舎寺《いなかでら》の坊主のキザな筆蹟なんぞを洪壁《こうへき》の如く心得ている者共だから、拓本とはいえ、こういう神品には気づかないで、紙屑同様、択り出しに任せているくらいだから、何の誰という当りなんぞはつきはしまいから、尋ねてみるのも無駄だが、筆者の名が知りたいな。完本でないから、印章も欠けているし、奥書もなにもないから、まるで手がかりは無いのだが、本来、拓本[#「拓本」は底本では「択本」]とはいえ、これだけのものを支那から取寄せた奴があったとしてみれば、目のある奴には相違なかったろう。そいつがもう少し念入りな保存法をして置けばよいのに――何か手がかりはないかな。
 主膳はそれを知りたさのあまり、幾度も幾度も、打返し打返し紙面を改めてみたけれども、さっぱり当りがありません。しょうことなしについ裏を返して投げるように眼をやると、唐紙の裏打ちの一端に小さな墨の文字のかきいれがあることを認め、吸いつくように見ると――最初の肉細の方の一本です――
[#ここから1字下げ]
「※[#「衣へん+者」、第3水準1−91−82]遂良《ちょすいりょう》拓本」
[#ここで字下げ終わり]
の五文字。はっ! とした主膳がそれを確める遑《いとま》もなく、第二の肉太の拓本の方の裏を返して見ると、同じように墨のかきいれ――
[#ここから1字下げ]
「等慈寺碑《とうじじひ》拓本、顔師古《がんしこ》筆」
[#ここで字下げ終わり]
 委細わからずに、まずこの細字の記入《かきいれ》が、重大なる手がかりを与えたかの如く、主膳を狂喜させました。

         七十五

 かえって説く、不破の古関の関守の家では、昨夜「関山月」を吹いた関守と、机竜之助とが、白昼炉を擁して、閑々たる物語をしていました。
 この、白昼、炉を擁してという言葉が、一応吟味すると、意味をなしていない言葉のようです。炉というものは、白昼なると黒夜なるとを論ぜず、物を煮たり、人をあたためたりすることのための造作の一つである。これが、白昼、燈火を掲げてというような意味ならば怪《け》しくもあるが、白昼、炉を擁すということは、意味を成さない言葉であるにかかわらず、それがふさわしいものに感ぜらるるほど、この場が明るいものであります。
「御存じの通り、関山月という曲は、もと胡曲でございます、ただ、海風万里関山月、海風万里関山月――と連続的に吹くだけのものです」
 関守は、これ以上には出典も解説も無いものときめてかかっている。竜之助は、それをもっと深く引き出そうともしないで、黙っているうちに、炉の焚火が、いい心持に身をあたためてくれます。
「ところが、その単調な関山月が、拙者の身にとっては容易ならぬ思い出でございましてな。昨晩は、あれを手向《たむ》けの心で吹いておりました。その手向けの一曲が、はからずあなた方を引寄せてしまいました。承ってみれば、この懺悔を私からして打明けてみない限りは、関山月も浮ばれまいかと思います。そもそも誰に罪があるわけではございません、この尺八の一管が悪いのですな」
 関守は、昨夜吹きすさんだ、かなり古色を帯びたところの一管を取り直して、竜之助の前につきつけますと、
「拙者も尺八は好きだ――必ずしも拙者が好きなのではない、父が好んでこれを吹いたものだから、つい見よう見まねに――覚えこんでしまいました」
「一つ吹いてごらんなさい、この竹はなかなか宜《よろ》しい竹です」
 取り直した尺八を、今度は、竜之助の膝の上にのせてやったものですから、竜之助も、それを受けないわけにはゆきません。
「では一つ、お聞きに入れますかな」
 彼は膝を組み直して、一管を斜《しゃ》に構えました。
「いい形ですね、あなたのは、形が出来ていますよ」
と関守が言う。
 お世辞ではない。
 まさか、尺八を吹くのに音無しの構えというのがあろうとも思われないが、吹かんとして構えた姿勢は物になっていました。
 物になっていなければならないはずです。剣を取るにしてからが、字を書くにしてからが、形がととのわなくて物になるはずはない、物になっている人で、形のととのわぬ人というものはあるべきはずのものではないから。
 関守は、尺八を取り直した竜之助の姿勢を見て賞《ほ》めました。
 賞められた竜之助としては、正師をとって、そうして、厳しくしつけられた形ではないが、父の弾正の遺伝として、こうしなければ音を出せないものとの観念が、知らず識《し》らず出来ているに相違ない。
 そうして、歌口をしめすと、無雑作に尺八が音を立てそめました。
 吹き出でたのは、例の覚えの「鈴慕」の一曲。
 それ、「虚空」が天上の音であって「虚霊」が中有《ちゅうう》の音、「鈴慕」に至って、はじめて人間《じんかん》の音である――ということは前に述べたこともある。それを繰返して言えば、行けども行けども足の地上を離るるということなき人間の旅――歩み歩ませられながら、御自分は、いずれより来って、いずれに行くやを知らない、萩のうわ風ものわびしく、萩のうら風ものさびしい、この地上を吹かれ吹かれ、流され流され行く人生――そこに蝸牛角上の争いはあるけれども、魚竜ついに天に昇るのかけはしは無い、纔《わず》かに足を地につけながら仰いで天上の楽に憧れるの恋がある、「鈴慕」は実にそれです。さればこそ、無限の空間のうちに、眇眇《びょう》たるうつせみの一身を歩ませ、起るところなく、終るところなく、時間の浪路を、今日も、昨日も、明日も、明後日も、歩み歩み歩ませられて尽くることなき、旅路になやむ人にとっては、「鈴慕」の音節ほど、人間の脳を根本から振り動かして泣かせるものはないのです。
 ただ、音楽というものは天才の仕事であるし、天才はまた人格――世間の言うよりは、もっと広い意味に於ての人格の仕事には相違ないけれども――ただ一つ、最も怖るべきことは天才が無くとも、人格が無くとも、ただ楽器その
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