番の功徳ではないかとわたくしは考えます」
「それもそうですね、川へ流しても、川下のことが心配になるし、土へ埋めても、また人獣の手によって発《あば》かれるという心配もございます――ではきれいに、弁信さんの美しい心と、汚れない手で、火葬にしてあげて下さいまし」
「別段、わたしの手がきれいな手でも、汚れない手でもありませんが――この場合、ほかに有縁《うえん》の人もございませんから、わたしが導師の役をつとめます、お雪ちゃん、薪《たきぎ》を集めて下さい」
「承知いたしました」
 お雪ちゃんは、その辺をあさって、燃料となりそうなもの一切を掻《か》き集め、下へほどよくそれを並べ、上へほどよくそれをつみ重ねると、弁信法師は、もうその火壇の前へ恭《うやうや》しく坐っていました。
 お雪ちゃんが火をつけると、弁信の読経がはじまります。
 火の勢いが盛んになるにつれて、弁信のお経と呪文が高くなる。
 火がいよいよ盛んになると、お雪ちゃんは、今までにこんなきれいな火の色を見たことはないと思いました。
 はじめには傷《いた》ましい心と、おびやかされる気持をもって事に当ったお雪ちゃんが、この火の色を見ると、つい何とも知れない快感に打たれてしまいました。
 弁信もまた、いかにもうららかな読経の声に、はずんでいるように見えます。お雪ちゃんはいい気持になりながら、薪を取っては加え、取っては加えているうちに、髑髏《されこうべ》は、あとも形もなく焼け失せてしまいました。
 同時に、弁信の読経も了《おわ》りました。
 弁信は、灰になりきった髑髏を袋の中へ納めて、首にかけました。
 お雪ちゃんは、水を掬《すく》って来て、燃えさしの火をよく消しておいて、二人は出立しました。
 二人の行く先は? 多分、これも、不破の古関のあとあたりでなければならぬ。
 しかしながら、今、不破の古関のあとには、「関山月」を吹いた関守が居、昨晩その関守の家へ泊った覆面をしないお客が一人いて、今日はのどかに二人が炉辺で茶でもすすりながら、「関山月」の曲に緒《いとぐち》をきって、ポツリポツリと諸国情調の物語に暮しているはずである。
 それだけならいいが――それを知っているお銀様が、いつまでも二人だけに悠長な世界を与えてはおくまい。
 お銀様がその場に現われると、お角さんはついては来まいが、米友は来るかも知れぬ。そうすれば、今日は明るい日に、昨晩通りの面《かお》がまた揃うことになっている。
 そこへ、何も知らぬ弁信とお雪ちゃんが、不意に馳《は》せ加わったら、どんな光景になる?
 他のものはすべて一面の識がある間としても、お雪ちゃんだけが全く新しいのです。
 お雪ちゃんが新しいのではなく、お雪ちゃんとお銀様というものが、全く新しい対面にならなければならない。
 そうした時に――お雪ちゃんの到着が、敏感なお銀様の機嫌に触れた時はどうなる、悍※[#「「敖/馬」」、149−17]《かんごう》なお銀様が、可憐なお雪ちゃんを裂いて食ってしまうとは言うまいか。
 弁信さんとお雪ちゃんの二人は、もう不破の古関の、関守の家の屋根の低く見えるところまで来ました。

         七十一

 神尾主膳が書道に凝《こ》っているというのは、今に始まったことではありません。
 この人が、不善と、退屈と、頽廃《たいはい》とから救われる唯一のものが書道でありました。
 こうして不善の閑境の中に、必ずしも自分は善事を為《な》すつもりでやっているのではないけれども、凝ってみると、おのずからほぐれて来るものもあるのであります。
 神尾主膳の書道に於ける腕と、その眼との肥えてきたことは、非常なものでありました。
 この道だけは相手が無いから、さすがの悪友どもも、主膳の腕があがり、眼が肥えてきたことに就いて、賞讃する者もなければ、阿諛《あゆ》するものもないだけに、自信がようやく本物になってくるということが予期しない大なる収穫でありました。
 書道に於ての昨今は、神尾主膳に於ては、もう今人を相手にせず、古人と共に語るというところまで行っているのです。それも決して自惚《うぬぼれ》でもなんでもなく、それに叶うところの腕と眼が、並び進んでいるということは、全く案外な進境と言わなければなりません。
 ただしかし、誰もこれだけの進歩と造詣を、主膳のために見てくれる者はなし、特に一幅の揮毫《きごう》を請うて子孫に伝えようとする者もなし、ありとすればお絹が帯を締めながら、感心によくお手習をなさいますね、今に菅秀才《かんしゅうさい》になれますよ――なんぞといって賞めるのと、それから、女軽業の親方のようなものが、大きな如輪杢《じょりんもく》を持ち込んで、これに江戸一流女軽業と書いて下さい、なんていう程度のものに過ぎないのです。
 そうしてまた、御本人が、腕と眼の肥えたことは自認するけれども、この腕前を見せてやろうというような野心が、もうすっかり消磨しているのですから、そこで主膳の書道に於ては、衒気《げんき》、匠気というものから、頼まないのに解放されて、独《ひと》りを楽しむという高尚な域に近くなっているのです。その結果として、功利的方面から見れば、主膳が書道に一時間凝れば、一時間だけ自分は不善の閑境から救われる、その周囲は、不善の伝染性から遁《のが》れるという勘定になっていて、主膳自身はそれを覚りません。
 今日はどこからの帰り途か、神尾主膳は馴染《なじみ》の、浅草の馬道の本屋の前に現われました。
 番頭は、このお客様がたいへんお眼が高くていらっしゃって、現代及び近世ものは振向いてもごらんにならないことを知っているし、ことに今日は何か取って置きの期待があるので、勇みをなして主膳を迎え、
「殿様、たいした掘出し物が出ました、これなら必ず殿様のお気に召すと存じます」
「何だ」
「弘法大師が出てまいりました」
「なに?」
「これこそ正銘の極印附きでございまして、鵬斎《ほうさい》先生の御門下が京の東寺へつてがあって、それからお手に入りました品でございます」
「ふーん」
と神尾主膳が、頭巾の中から浮かぬ返事をしてみせたが、本屋の番頭は失望しないで、かえって乗り気になり、箱入りの一本を棚から取下ろし、恭《うやうや》しく主膳の前に中身を繰りひろげました。
「それが、その弘法大師か」
「はい」
「ふーん」
 神尾主膳の返事はむしろ冷笑気味でしたけれども、番頭がそれに降参しないのは、番頭としても相当の自信――他信から移された自信というものがあるからでしょう。
 それは般若心経《はんにゃしんぎょう》かなにかを書いた残欠本の仮表装でありました。
「いかがでございます――これは珍品でございます」
「ふーん」
 神尾主膳は、それでも一通り右の心経の残欠本――伝弘法大師筆と称うるところのものに目をくれていました。
「全く、近来の偉大なる掘出し物でございます」
と言って番頭が、下へも置かない気持でいるのを、主膳が、
「ふふーん」
と鼻であしらいました。
 今まであしらっていたのは、ただ「ふーん」という軽いあしらいでしたが、今度のは、「ふふーん」となって、ふが一字だけ多いのに過ぎないが、それは明らかなる冷笑と排斥の意味ですから、番頭が狼狽《ろうばい》しました。
「いけませんか、違いますか、左様なはずはございません」
「誰が、これを弘法大師だと言った」
「鵬斎先生の御門下は、どなたも保証でございます」
「ばかな!」
 神尾主膳が、冷笑に代ゆるに罵倒を以てしました。
「え!」
「こんな弘法大師がどこにある」
「だって殿様――もうお歴々のお方が保証をなさらぬはございません、こういうことになりますと、書家の書と違いまして、それだけの人格が備わらなければ書けるものではない、こういう風格は、偽作などしようと思っても及びもつかないものだそうでございます」
「弘法ではないよ」
「では、どなたでございましょう」
 ここで番頭は反問の気味となったのは、弘法でなければその反証をあげて見せろという、婉曲《えんきょく》なる抗議でありました。主膳は取って投げるように、
「それは越後の良寛という田舎寺《いなかでら》の坊主の手だ、なるほど、ちょっと乙なところもあるが、これを弘法だなんぞとは、猫を指して虎というようなもので、規模も、輪郭も、問題にはなっておらん」
「ははあ、越後の良寛という出家の筆ですかな」
「弘法大師などとは及びもつかぬことだが、良寛は良寛だけに見て置けばよろしい、近頃のわいわい連が、何と思ってか、方図もなく良寛を担ぎ出したものだから、天晴《あっぱ》れの高僧智識ででもあるかの如く心得る奴もあるが、本来あいつは、越後の田舎寺のちょっと変った坊主というだけのもので、弘法大師に比べるなんぞは笑止千万な次第で、鵬斎の弟子共あたりが担ぐのに手頃の代物《しろもの》だ」
 神尾主膳はこう言って、一も二もなく良寛を追っぱらってしまったが、書幅を持ちかかえながら番頭がすっぱい面《かお》をしているのを、多少気の毒とでも見たか、
「だが、こいつだってまんざら捨てたものじゃない、好く奴は好くだろうから、越後の良寛という田舎寺の変った坊主の筆だと心得て持っていればよい、弘法大師などとは論外の沙汰《さた》だ」
 こう言って多少、良寛に余地を与えたようだが、かえってそれを奪ってしまうようなものです。
 それから以後、主膳は良寛には見向きもせずに、
「どうだ、支那の拓本で、何か変ったものは出ないか」

         七十二

 その時、街頭に騒がしい物音が起りました。
 店の番頭も、支那の拓本をあさっていた神尾も、その物音の起った方面を見ないわけにはゆきません。
「何だ」
「百姓でございます」
「百姓?」
 苦々しげに見やった街道を、練って行く一隊の蓑笠《みのがさ》があります、その数都合十四五頭もありましょう。練って行くと見たのは、見直すとそうではない、十四五名の蓑笠がみんな数珠《じゅず》つなぎになって、手先に引き立てられて行くのです。
「百姓一揆でございます」
「うむ」
「百姓一揆てやつは、始末に困るそうでございますね」
「始末に困る、百姓はもののわからない奴だ、あいつらがまとまって領主に迫るようなことになると、国の乱れだ」
「物の分らない奴が、党を組むほどあぶないことはございませぬ」
「だから、徳川の政治の方針として、百姓は生かさず殺さずに置け――というのを以て主意としたのだ」
「へえ……」
 番頭は、主膳のいう「活《い》かさず殺さず」がよくわからない。それを主膳が註訳して言う、
「百姓に生活の余裕を与えて置くと、得て我儘《わがまま》が出て一揆を起すようになる、そうかといって、活きるだけの情けを与えて置かなければ、米をとらせることができぬ」
「御尤《ごもっと》も……」
「その活かさず殺さずの呼吸が、領主の腕なんだ」
「御尤も……」
「近ごろ百姓を増長させたのは、あの千葉の佐倉宗五郎という奴だ」
「はーあ」
「あいつは公事好《くじず》きの喧嘩屋みたようなもので、意地でああ楯を突きやがったのだ、それを義民だの、救民だのと持ち上げるものだから、百姓を増長させてしまったのだ」
 主膳の衣《きぬ》を着せずに百姓と義民とを罵《ののし》る歯が、番頭の耳にも少々手痛く食い入ったと見え、
「でございますが、昔のお政治は、百姓は仰せの通り、活かさず殺さずのお慈悲でございましたが、近年は全く活かさず――活かさずだそうでございまして、糸繭《いとまゆ》は売れず、税金は高し、思えばお百姓も哀れなものでございます」
「百姓なんて、人間じゃねえんだ」
「え!」
 番頭が、さすがにそれはごまかしてうなずききれなくなりました。
「でも、農は国の本と申しまして、古《いにし》えの帝王は……」
「百姓をおだてちゃいけない、百姓や又者《またもの》をおだててのさばらせるのが、天下大乱のもとなのだ」
「ははあ、でござんすかな」
「今の世の中がこんなに騒々しくなったのは、又者が騒ぐからだ、又者を増長させて置くその罪だ」
 主膳の論鋒が、百姓から又者の上に来ま
前へ 次へ
全44ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング