酒――何にでも通用する。ここに於て、京大阪の天地に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名を圧倒的に宣伝する。これがこの時に萌《きざ》した清次の大望であります。
 そうして、その実行の第一着として、大津の町の外《はず》れから、塀であろうと、垣であろうと、軒であろうと、木幹、石面に到るまで、およそ人目に触れ易《やす》いところへは、用意の矢立を取り出して、
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「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
「のろま」
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と書きました。
 これが、京都を出て大阪へ向う時は、単に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名題だけでは満足しなくなって、いちいちの名題の下へ次のような標語を書き加えました。
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「のろま――少納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]はエライと仰せになりました」
「のろま――中納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]は愛《う》い奴じゃと仰せになりました」
「のろま――大納言様は、のろま[#「のろま」に傍点]は少し馬鹿だと仰せになりました」
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 これを書いて清次はしたり面です。
 前に述べた通り、清次の哲学によると、実質のあるものは宣伝をしなくとも人が認める、カラッポな奴こそ宣伝が生命なのである、自分は本多平八郎でもなければ、上杉輝虎でもないから、そこで極力自分の名を自分で売りひろめてのろま[#「のろま」に傍点]の存在を認めしめなければならぬ――しかしそう露骨に自己宣伝をすることは、いかに甘く出来ている世間とはいえ、かえって反動的に軽侮の念を惹《ひ》き起し易いということを知っている、そこで清次はまた雲を炙《あぶ》って月を出すの法を考えました。それは、自分の口から直接に言わず、あらかじめ相当世間の知名の人士の名を以て、その口を借りて、自分を推薦讃美せしむるの賢なるには如《し》かない――そう思いついた清次は、京都を出ると直ぐに、それを実行することを忘れませんでした。彼がまず少納言、中納言、大納言の名を借り用いたのはその第一歩であります。
 その後、清次は、あらゆる方面の知名で、そうして人のよい、お目出たそうな人の名を撰んで、いちいちのろま[#「のろま」に傍点]推讃のために利用しました。
 この透間《すきま》なき宣伝利用法は大いに利《き》きました。淀の下り船から八軒屋に至るまで、旅人の口に「のろま[#「のろま」に傍点]」の名が上らないということはありません。
 清次は図に当れりと思いました。これだけ売り込んで置けば、それが、のろま[#「のろま」に傍点]餅であろうが、のろま[#「のろま」に傍点]染であろうが、のろま[#「のろま」に傍点]薬であろうが、相当に当ること疑いなし。
 見よ見よ、期年ならずして、のろま[#「のろま」に傍点]の名が京阪を圧倒し、その名によって営む商売が、一つとして成功せざるは無く、富と名とを一時に贏《か》ち得て、一代を羨望せしむるは遠い将来のことではないぞ。彼はひとり、この成功を想像して、王者の意気になりました。
 さて、その次には、功成り名遂げた後の名爵のことをも考えました。
 いよいよ自分の成功に貫禄がついて、たとえば従三位文部卿のような地位にまで上り、下々《しもじも》に訓諭を垂れたりする場合になると、売りこんだのろま[#「のろま」に傍点]清次の名がかえって仇をなす。
 商売用としてはそれで差支えないが、かりに従三位文部卿にでもなった場合に、のろま[#「のろま」に傍点]清次の名はふさわしくないということまで考えました。
 そこで、機敏に働く彼の頭脳が、最もよき語呂の転換を教えました。
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「のろま聖人」
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 これがよろしい。これならば、以て一代に向って訓諭を垂れるに足る名前である。
 成功するまでは、のろま[#「のろま」に傍点]清次でよろしいが、成功した以上は「のろま[#「のろま」に傍点]聖人」――この名を中外に宣揚することをまで、深く心の底に考えました。
 ああ、この周到なる未来の成功の麒麟児《きりんじ》を呼んで、「のろま」とは誰がつけた?

         七十

 関ヶ原の環境の波動がこういう次第のものである中に、ひとり取残されたものに黒血川の髑髏《されこうべ》がある。
 米友の手から離れて、ひとたびは宙天に飛び上り、また川の流れの上に落ちて、よろめき流るること二三間、ささやかな流れ川のなぎに堰《せ》き留められたままで、下は流れに冷され、上は秋風に吹かれて、尾花苅萱《おばなかるかや》の中にあなめあなめと泣いている、この骸骨。
 北国街道の彼方《かなた》に於ては道庵大御所の旗本が電光石火を降らしている間、不破の古関に於ては風変りの関守と、昨夜「関山月」を聞き分けて来た怪しい覆面のない男とが、白昼、炉を擁して端坐している時――かの髑髏はひとり黒血川の流れに漂うて、あなめあなめと泣いているが、それをとむらい来《きた》るものはありません。
 思うにお銀様が、この髑髏《されこうべ》をかつぎ出した所以《ゆえん》のものは――考証的にこれこそ目指すところの大谷刑部少輔の首よ、と主張すべき根拠はなにものも無かったというべきであります。
 その当時ですら秘密にされてあり、また、三成、行長、安国寺あたりの首は、白昼都大路で梟《さら》されようとも、この男の首だけは秘密にしてやるべきことが武士道に叶っている――それが今日になって、何人の手に於ても考証が届くはずはなかろう。まして通り一ぺんのお銀様あたりの手で、発《あば》かれ出されようはずもないのであります。
 しかしまた歴史的考証や、科学的の探求のほかに、お銀様特有の神秘力とでもいったような働きから、ついに何人も未《いま》だ探知し得なかった古人の骸《むくろ》を感得し得たのか、そのことはわからないが、よしこの髑髏が、大谷刑部少輔そのものの骸骨ではないとしたところが、ここは、やっぱり、夏草やつわものどもが夢のあと――なんだから、いずれのところにか偶然、露出されていた無縁の骸骨のいずれの一つか、当年の腥風血雨の洗礼を受けていないということは言えない。
 ただ枯骨がものを言わないだけのものである。物を言わないではない、現に、あなめあなめと言ったことになっているが、それは髑髏が言っているのではない、秋草が言わせているのだ。
 由来、関ヶ原の本当の悲劇は慶長五年にあるのではない。
 慶長五年を遡《さかのぼ》ること九百三十年の昔、大炊省《おおいづかさ》の八つの鼎《かなえ》が、八つながら鳴り出した時に起っている。
 慶長|庚子《かのえね》の関ヶ原は悲壮ではあるが、どちらも戦い得る器量だけに戦い、器量いっぱいに敗れたものと言いつべきだから、天下は帰するところに帰したもので、大局から言えば成敗共にうらみなき合戦であった。
 ところが、白鳳|壬申《じんしん》の秋の不破の関の悲劇は、その恨みが綿々として千古に尽きない。
 黒血川の名はその時から起り、今こそ水は澄んでいるが、髑髏を見ると、流れ去ることを沮《はば》んで恨みをとどめようとするのは、千百年にしてなお浮べないものがあるからだ。
 ちょうどこの日、北国街道の小関、天満山の麓では、道庵先生の旗風が三たび靡《なび》き、三たび立直っている激戦の最中――その矢叫びも、棒ちぎれも、ここまでは届かない閑寂なる黒血川の岸。
 秋草が繚乱《りょうらん》として、川に流れやらぬ髑髏を、あなめあなめと泣かせたり、尾花が手を延べて、千古浮べないというものをなぶったりしている、昼のしんかんたる景色。
 それが、日の天に冲《ちゅう》するほど、いよいよ物寂しい景色、昨夜の物好きなグロテスク人種以外には、白昼といえども、誰あってこんなところまで足を踏み入れるはずはないのだから、こうしてさびしいままで一日を送り、一夜を迎えるほかにはあるまいと思われたのに、その日中――耳を驚かすのは、はたはたとものさびしい上にものさびしさを加える軽い足音が、ここ黒血川辺のすすき尾花の中に消えては起り、起っては消えて来る。
 では、やっぱりこんなところを通る人もある。いや、虫を追い、虫を追って、つい帰路を忘れた里の童《わらべ》たちだろう――しかしその断続した足音を聞いていると、静かではあり、軽くはあるが、踏む調子は正しい、いたずらに虫を追い、虫を追うて彷徨《さまよ》うている里の童のたぐいではなく、一定の目的を以てこの道をよぎる旅人の足音と聞いた方が正しいのです。
 果して――すすき尾花の中から、二人連れの旅人が現われました。
 前なるは弁信法師――後ろなるはお雪ちゃんでありました。
「川があります」
 お雪ちゃんがいう。
「越せますか」
「越せますけれど、はだしにならないと――」
「お雪ちゃん――二人が二人はだしになるはムダですから、わたしがあなたをおぶってあげます」
「弁信さんの力で?」
「お雪ちゃんのからだですもの」
「でも、弁信さんは、琵琶を背負っている。こうしましょう、わたしが琵琶ぐるみ弁信さんをおぶいましょう、ほんの一間ばかりのところですもの」
「男子の身が女人に負われることは逆縁のようでございますけれども、弁信でございますから、お雪ちゃんの重荷にはなりますまい――では、そういうことに願ってもようございます……」
 お雪ちゃんが弁信さんをおぶって、この小流れを越すことになりました。
「あ!」
 その川幅僅か一間の小流れの中流で、弁信を背負ったお雪ちゃんが立ちすくんで「あ!」と言いました。
 それは、申すまでもなく、中流に流れもやらず留まりも敢《あ》えずに漂動して、あなめあなめと泣いている髑髏《されこうべ》を見たからです。
「何ですか、お雪ちゃん」
 背中の上で弁信がたずねました。
「まあ、気味の悪い人間の髑髏《どくろ》が一つ、ここに流れています」
「髑髏ですか」
「全く生きて物を言っているように、川の真中に流れも敢えず……」
「そうですか」
 その時にもう、弁信法師の身は向うの岸に渡されて、以前、米友が四方転びになったところあたりに安全に置かれてありました。
「ほんとうに、まあ、この髑髏は、生きてわたしたちに物を言いかけるようです」
「供養をしてやりましょう」
「水に流して、流れるところまで流してやりましょうか」
「いいえ、水に流すと、流れの末が心配でございます」
「では――」
 お雪ちゃんは、この上もなく気味も悪いし、怖くもあるが、そうかといって、もう捨てては置けないものになりました。
 髑髏に物を言いかけられて、引寄せられでもしたもののように、するすると再び川の中流へ戻って来て、機械がさせるもののように、その髑髏を手に取って掬《すく》い上げてしまいました。
 それを両手に捧げて、見えない眼の弁信に見せるような形をし、
「弁信さん、どうしましょう」
「そうですね、地水火風のうちに溶かして、空《くう》にしてあげるのがいちばん功徳《くどく》だと思いますが、すでに、もう地の中をくぐり、水の中を漂うて、それで空にならない因縁の髑髏ですから、この上は火で供養するよりほかはありますまいと思います」
「では、火葬にしてあげるのですか」
「そうです」
「火葬――火で焼くことは、わたしは好きではありません、弁信さん――あのイヤなおばさんも……」
 お雪ちゃんは、イヤなおばさんのことが、ついこんな時に自分の口から飛び出したことを、自分ながら心外なりとしました。
 そんな不快な聯想をここへ持ち出して、この無縁の骸骨にまで、業縁を加えたくはないと思いました。そして、イヤなおばさん……と言っただけで口をつぐんで、
「人間の身体を火で焼くということは、勿体《もったい》ないと私には思われてなりません、じっとして置けば、いつかまた魂が戻って来るような気がして……」
「魂魄《こんぱく》が戻って来ていいこともありますが、戻って来ていよいよ業縁を重ねるのは、よろしくございません、善縁悪縁にかかわらず、火の供養を以て一切空《いっさいくう》の世界へ送ってあげるのが、一
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