いかげんにせんと……」

         六十七

 道庵主催、前代未聞の関ヶ原の模擬戦を見物していたところの一人に、紙屑買いののろま[#「のろま」に傍点]清次がいたことは見遁《みのが》すべからざることでした。
 のろま[#「のろま」に傍点]清次はがんりき[#「がんりき」に傍点]の百と別れて特にこの催しを逐一《ちくいち》実見するや、何してもこれは一つ話として、自分の頭と眼をなぐさめるだけにとどめて置いては惜しいと思いました。
 そこで、天性の商売気に独特の宣伝癖が加わって、柏原の駅へ来てから、一枚の瓦版《かわらばん》を起しました。
[#ここから1字下げ]
「前代未聞!
江戸の大御所!
関ヶ原に大勝利!
西軍大敗!
京大阪危し!」
[#ここで字下げ終わり]
という大標題《おおみだし》を掲げ、金扇馬標を描いて馬上の道庵大御所の姿を現わし、それから本文には、近ごろ江戸で名代の金持のお医者さんが、道楽で関ヶ原に模擬戦を試みて大成功を遂げ、その勢いで不日、京阪の地に乗込んで来る!
 それをくわしく見知りたいと思えば、この瓦版をお買い下さい!
 大評判※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 大売行き※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 一枚たった四文※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 暴風《あらし》の如き売行き!
 売り切れぬうちに!
 空前、断然、売れる、売れる、到るところ引張り凧《だこ》!
 この瓦版を柏原を振出しにして、醒《さめ》ヶ井《い》、番場、高宮《こうみや》、越知川《えちがわ》、武佐《むさ》、守山、草津と、大声をあげあげ呼売りをして歩きました。
 のろま[#「のろま」に傍点]清次のこの商売気がすっかり当って、宿場宿場の物好きが、争ってこれを買わざるはなく、それを読んで興味を催さぬはありません。
 江戸から人を食った金持のお医者さんが現われて、大御所気取りで関ヶ原の模擬戦に大勝利を博すると、その余勢をもって、一気に上方を笑殺に来るのだ。
 孫子《まごこ》までの話の種として、この大茶目の武者振りを見て置かなければならないと人気が立ちました。
 それだけならば格別のことはなかったのですが、ここに清次が金儲《かねもう》けをしながら呼売りをして、草津の宿まで来た時分のことです。
 草津の町の名代の姥《うば》ヶ餅《もち》に足をとめて、しきりにお砂糖を利かせた姥ヶ餅を賞翫《しょうがん》しているところの一行がありました。
「姥ヶ餅ちゅうはこれかい、旨《うめ》えのう、もう一盆これへ出しなさろ」
 鷹揚《おうよう》に命じたのが金茶金十郎でありました。
「金茶、姥ヶ餅が気に召したかの」
 これは安直先生であります。
「旨え、旨え。だが、あんこ[#「あんこ」に傍点]の上にこんな白砂糖をちょんぼり載せたのは気に食わねえ、身共は黒砂糖でもかまわんによって、しこたま載せてもらいたいんじゃ」
「金茶先生」
 傍らに控えていた侠客みその浦なめ六が、金茶に呼びかける。
「何だ」
「その白砂糖をちょんびりと載せたところが、主《しゅう》の子を育てた姥の乳の滴《したた》りを象《かたど》ったもので、名物の名物たる名残《なご》りでござりまする」
 なめ六は、さすがに老巧だけあって、相当に故実を心得ている。
「身共、乳なんぞは飲みとうないぞ、我々を子供扱いに致しおるか、ちゃあ」
 金茶が少しく御機嫌を変じてきたが、この時ちょうど、隣席でかなり喧しい談議の声が湧いたので、安直、金茶らも思わずそちらを向いて見ました。

         六十八

 姥《うば》ヶ餅屋《もちや》は、餅屋といっても、ただの餅屋ではない。
 見たところ、陣屋のような構えで、通し庭がある、離れの広い座敷がある、客間がある、茶の間がある。それぞれの間に立派な身分ありそうな客が、名物としてのあんころ[#「あんころ」に傍点]を口につけたりなんぞしている。その向うの間ではパチリパチリと碁を囲む悠長の客もある。
 安直及び金茶の餅を食っているつい隣りの席に数人の客があって、それがやはり同じように名物の餅を賞翫《しょうがん》しながら、しきりに語り合っているのは、槍という字は木|偏《へん》が正しいのか、金偏が本格かというようなことで、話に花が咲いたが、やがて、古往今来、日本の武芸者のうち、わけて剣客のうちで、いちばん強いのは誰だ、という評議に移っていたが、ついに両説にわかれ、一方は荒木の前に荒木なし、荒木の後に荒木なしと言って、荒木又右衛門説を主張し、一方は宮本武蔵が荒木以上であるという説を支持し、結局、武蔵が日本一ということに落着こうとして、ひときわ話に身が入ったところでありました。
 それを小耳にハサんだ金茶金十郎が、いきみ出して立ち上りました。
「何だ、宮本武蔵が日本一だと、身共聞捨てがならねえ」
 安直がそれを聞いて、
「金茶、尤《もっと》もなこっちゃぞい――宮本武蔵は強くないさかい。第一、ありゃ利口者やて、名ある人とは試合を避けたんやな」
 隣席へあてつけがましく、安直が、宮本武蔵が評判ほど強からざる所以《ゆえん》を述べ立てると、金十郎が相和して、
「そうじゃ、そうじゃ、宮本武蔵なんぞは、甘え、甘え、うな、武蔵なんぞは甘え」
「うな――甘え、甘え、宮本武蔵」
 安直と金茶とが、こう言って力《りき》み出したので、隣席の人もあっけにとられているところへ、さいぜんの、のろま[#「のろま」に傍点]清次が大声あげて乗込んで来ました。
 大評判!
 大成功!
 大売行き!
 たった四文!
 前代未聞!
 江戸の大御所!
 関ヶ原慶長の大合戦!
 西軍大敗!
 暴風の如き売行き、引張り凧《だこ》!
 金茶、安直の一行が、その呼売りを買わせて、一見するや、あっと地団駄を踏み、悲憤の色に燃えました。
 それは覚えのあることです。
 過日、枇杷島橋《びわじまばし》の勝負は、かんじんのところで肥後の熊本五十七万石、細川侯の行列らしい道中で、うやむやにされてしまったが、まあ、あれだけに、こっちの威力を示して置けば多少おそれをなし、道庵の奴、もう上方筋では手も足も出そうとはすまい、この上は、彼が大阪へ到着した際に於て、みっちり思い知らせて、取って抑えて、グウの音も出ないようにしてしまうことだ、こっちは凱歌を奏して先着のことと、タカを括《くく》り、道庵主従をあとにしてこうして草津まで先着して、いい気持で餅を食べているところへ、のろま[#「のろま」に傍点]清次のこの呼売りを見て安直が、らっきょう頭をピリリとさせ、金茶金十郎が紺緞子《こんどんす》の衿《えり》の胸元を取って思わず床几《しょうぎ》から立ち上ったのはさもあるべきことです。
「いよいよ以て、奇怪千万なる藪医者じゃ! どだい我々を何と心得おる!」
 金茶が力むと、安直が、なべーん[#「なべーん」に傍点]とした面《かお》を振り立て、
「わてら、阪者《さかもん》のちゃきちゃきじゃがな、江戸の大御所たら、しゃらくそう[#「しゃらくそう」に傍点]て、どもならん」
 金茶ひるまず、
「大御所呼ばわり奇怪千万、プル、プルプル」
 安直抜からず、
「大御所たら、足利三代将軍はんのほかに、禁裏はんから御沙汰のない名じゃがな、どだい、家康はんが、江戸の大御所たら名乗りなはるからして理に合わん、十八文の藪医者はん、来やはって、大御所呼ばわり、片腹痛うおまっしゃろ、ちゃ」
「片腹痛え、痛え、うな、片腹痛え」
「わて、どだい、生れは阪もんやがな、江戸の田んぼで修行しやはった押しも押されもせん折助仲間の兄《にい》はんやがな、碁将棋だかて田舎《いなか》初段がとこ指しまんがな、デモ倉はん、プロ亀はんたちと、よう腹を合わせて、江戸の大衆、みんなわてが縄張りやがな、わてが無うては新版屋はん、飯が食えへんさかい、今時、阪もんの天下やがな、そのわてが本陣へ、江戸の大御所たらいうて乗込む、十八文はん、どないな目に逢わせたら、この腹が癒《い》えまっしゃろ、金茶抜からず、頼んまがな、ちゃ」
「いで、この上は――」
 金茶金十郎が、六法を踏むような形をして、手ぐすねを引きました。
「あの憎たらしい十八文のお医者はん、阪者《さかもん》はみみっちい、みみっちいと言やはるけどなあ、太閤はんかて阪者じゃがな、徳川はん、江戸で政治なはりやったからて、経済では大阪が天下じゃがな、蔵屋敷の立入りたら諸侯はん、みな大阪商人に頭があがりまへんがな、そやかて、大塩平八郎はんも阪者やがな、あないな気骨ある役人、今のお江戸におまへんがな、中井竹山先生たら、履軒《りけん》先生たら、緒方洪庵先生たら、みな阪もんやがな、そないに御安直ばっかありゃへん、ちゃ」
 安直が早口にべちゃべちゃと、こんなことを言い出したものですから、姥ヶ餅に居合わせた客人が、おぞけをふるって総立ちになりました。
 関ヶ原へも途轍《とてつ》もない茶人が現われたそうだが、ここにも絶大なる豪傑がいる。
 一人の方は、太閤はんはじめ蔵屋敷を親類に持っている。まった、もう一人は、宮本武蔵も荒木又右衛門も寄りつけないことになっている。
 これはたまらないと怖れをなしました。

         六十九

 さりながら、自分の売りつけた瓦版によって安直、金茶の一行の悲憤慷慨を招いたからといって、のろま[#「のろま」に傍点]清次に少しの責任があるわけではありません。
 そんなことに頓着のない清次は、名物の餅を味わう暇も惜しんで、またそれから先の呼売りを急ぎました。
 しかし、さすがに際物《きわもの》のことで、草津を過ぎると、パッタリ瓦版の売行きが減じました。けれども清次自身、それは無理のないことだと諦《あきら》め、草津に至ると、さっぱり瓦版の残部を琵琶湖の水に投じてしまい、さて売上高を勘定してみると、自分ながら予想外の利益でありました。
 この成功の一歩が清次に教えたことは、いよいよ仕事は宣伝に限るということの信念を確立したことであります。
 前代未聞の関ヶ原の模擬戦――それをおったまげて見てしまえばそれまで、笑って過してしまえばそれまで、それを利用したことの働きが、京大阪までの自分の路用を償《つぐな》って余りあるものであります。無から有を生み出すこと、目から見たことを金にかえる術はすなわち宣伝である。
 人間の社会は本来、甘く出来ているものだから、臆面なしに吹聴しさえすれば人が信ずる、よし買い被《かぶ》ったところ、売ってしまい、買ってしまったあとでは喧嘩にもならぬ、コケ嚇《おど》しに限る!
 清次はこの信念を強く植えつけたと共に、単にコケ嚇しとはいえ、それには時機も時間もある、それを取外してはならない、瓦版が草津へ来てパッタリ売れなくなったように、潮時というものは、何事にもあるものだから、目先を利《き》かして、転換を試みねばならぬという処世術にもよい経験を与えました。そこで清次が考えたのは、宣伝する以上は一時的の宣伝でなく、永久に効果のある名前を売り込んで置きたいということ。
 その題目を――道々考えた清次は、最も手っ取り早いことは自分に与えられた渾名《あだな》の宣伝に越したものはない、「のろま[#「のろま」に傍点]」の題名はあまり有難くない題目ではあるが、これを世間から与えられた自分がのろま[#「のろま」に傍点]か、これを自分に与えた世間がのろま[#「のろま」に傍点]か、今後の成功によって目に物を見せてやる、それはよい思いつきだ。
 清次は、これから京大阪へ乗込んで仕事をするために、自己の宣伝名として「のろま[#「のろま」に傍点]」を撰み、この名によって、自分とその商品を売り出そうと決心しました。その商売及び商品の品目としては、まだ確定はしていないが、菓子屋でもはじめる時はのろま[#「のろま」に傍点]焼、漬物屋であればのろま[#「のろま」に傍点]漬、その他のろま[#「のろま」に傍点]薬、のろま[#「のろま」に傍点]染、のろま[#「のろま」に傍点]餅、のろま[#「のろま」に傍点]縞、のろま[#「のろま」に傍点]芋、のろま[#「のろま」に傍点]飴《あめ》、のろま[#「のろま」に傍点]
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