間をそれとなく注意する一方、外へ出て塀の外門の締りなどを厳密に気をつけて廻って歩きながら、米友の頭の中にも、この前後から動揺して穏かならぬものが捲き起っているのです。
古関からの帰り途、お銀様から言われたこと、道庵先生は親方のお角さんに任せて置いた方がいい、これから先は、わたしたちと一緒に旅をしないかと、そう言われたことは、言った方も一時のお座なりであり、聞いていた自分はむろんうけつけもなにもしなかったが、本来、自分はあの尺八を聞いている前後から、旅をしてみたくてたまらない心持に襲われていたのだ。
旅をしてみたいというけれども、現在、自分は旅をしているじゃないか、と言われればそれまでだが、どうも自分の今の旅は、これは本当の旅ではないというような感じが、米友の頭の中に捲き起されているのです。
旅というものは、もっと自由のものでなければならない。自由といわなければ、もっと無目的のものでなければならないのに、自分のはあんまり窮屈すぎ、目的が有り過ぎる。
さきほど尺八を聞いていた時の、あんな流れるような旅をしてみたらどうなるんだ。
現に、今晩の無分別者どもは、どこへどう落ちて行くのか知らないが、その心持の呑気さ加減が、ばかばかしいほど現実というものを無視している。
道庵先生の世話が焼ききれず、お角親方には頭が上らない旅をして暮すよりも、こんな連中と行当りばったりの旅をして歩いた方が気楽じゃねえかしら――
おいらだって、お君という奴が達者でいれば、二人で旅から旅を渡って、歌を唄って歩いていた方がなんぼう気楽だかと考えている。
旅は旅だが、今のおいらの旅は人のおともをしている旅だ。
気儘《きまま》の旅がしてみてえとは思わねえか。
米友はそぞろにこんなことまで考えてはいるが、それは単に何かのはずみで空想に耽《ふけ》らせられたまでのことで、やはり米友の本質として、それを実行に移して、二人を幇助《ほうじょ》して、夜逃げ、高飛びにうつろうなんぞとは及びもつかぬことです。
それはそれとして、厳重な警戒心をもって今晩のところ、責任を果さねばならぬという責任感は、いよいよ強くなりつついったん部屋に帰った米友は、またも二度目の夜まわりをはじめました。
五十七
米友は、米友としての深夜の警戒から、この宿の周囲をうろつき、大きな柿の木の下に立つと、この前に言ったような、何とも自分ではつかまえどころのない一種の空想にかられて、そこにじっと留って考え込んでいました。
その時、不意に自分の立っている左手の方の一方がパッと明るくなって、柿の木に反射するのを感じました。
そこで振向いて見ると、一見してそこが本宅についた湯殿であることを知り、湯殿の中に燈火《あかり》がついて、誰か人あってそこへ入浴に来たものだと感づきました。
「なるほど」
そう、うなずいたけれども、用意周到な米友は、人を驚かさんことを怖れたものです。
それは、この深夜、自分がここに立っていることなんぞ気取られようものなら、確かに入浴の人を驚かすことは勿論《もちろん》、そういう自分も、一時なりとも疑いを蒙《こうむ》るの立場に置かれることを心配しないわけにはゆきません。
今までに米友は、誤解から来る釈明のかなり面倒なことを、知りぬいている。
万事は咎《とが》めず咎められないで済めば済ましてしまった方がよい。
そこで、動きもせず、言葉もかけず、暫くそのままの姿勢を続けていて、そうして或る機会を待って、痕跡を残さずに退却してしまおうと考えたものです。
だが、入浴の主の方は、無論、米友が左様な細心な思慮をもって、つい軒下に立っているということを知りません。
いったい、深夜、こんなところに立往生をしなければならないのやむを得ぬに立到った米友の方も幾分の不心得が無いとはいえないが、この深夜、浴室へ立入って来た客人の方も度外《どはず》れでないということはありません。
しかし、お客はお客として、或いは深夜に到着することもあるし、宿は宿として、不時の客の到着にも風呂を沸して待つというのが商売|冥利《みょうり》の一つでもありますから、それはいずれを咎《とが》めだてするというわけにはゆかないのであります。
しかし、風呂場の引戸があいていたものですから、それは外より内を見るにはよろしく、内から外を見るには適していなかっただけに、米友としては形勢が有利のような、不利のような立場に置かれてありました。
米友としては、見まじとしても、風呂場の中を見ないではおられぬ立場に置かれ、風呂場の中の人としては、見ようとしても、米友の何者であるかは見られないような立場に置かれてありました。その途端、
「あっ!」
米友の胆を冷やしたというよりは、叫ぼうとして、その舌を引きしめ、眼を円くさせたのは、引戸の隙間からありありと見える中なる人の姿、それはほんとうに美しい女の肉体の一塊であったからであります。
といっても、米友が、女の裸体美の曲線の一つや二つに驚いてうつつを抜かすような男でないことは、知っている限りの誰もが保証することでありましょう。
すなわち、この男は十四世紀の高師直《こうのもろなお》であったり、明治末の出歯亀氏というような、女性に対しての一種の変態性慾を持っている男ではありません。
女の肉体美に面《かお》まけがして、体がすくむというような男でないことは勿論だが、それが、「あっ!」と言って、一時、のけぞり返るほどに眼をすましたのは、それは申すまでもなく女の肉体そのものが、自分の幼な馴染《なじみ》であるところの間《あい》の山《やま》の女性の、それの面影が電光の如く、幻影の如く眼をかすめたからです。爾来《じらい》、この男が女性と見れば、その一人をしか幻出することのできないらしい性癖は、名古屋に来てから暫く影をひそめたものですけれども、決して絶滅したわけではないのです。
それが今、眼前に現われました。つまり、軽井沢の勇者としての飯盛女の待遇もそれに過ぎなかったように、ここでもまた思いがけなく女性の肉体を見せられると、「あっ」と心頭に上り来ったのは、間の山以来のその複雑した哀傷の名残《なご》りでした。
そこで彼は身ぶるいしながら、篤《とく》とその肉体を見直さないわけにはゆきません。といっても再応断わっておかなければならぬことは、この身ぶるいが、前世紀の足利将軍家の執事氏の為《な》した身ぶるいと全然性質を異にする身ぶるいであることの証明としては、肉体そのものだけを見れば、間の山の彼女を聯想することはあえて米友ひとりの幻想のみではなく、それを知っているものの公平に、ああよく似ているなと、偲《しの》ばざるを得ざらしめるほどのものなのです。
そこで米友は、誰はばからず身ぶるいをしながら、いやというほどその肉体美をながめ尽しておりました。
ここに将軍の執権師直氏よりも、東京市外大久保の植木屋池田氏よりも、なおいっそう強烈なる注意人物を自分の背後に持っているということを知らない湯殿の中なる肉体氏は、悠々閑々としてその美しい肌にとどまる汗を拭っていました。幸い、どちらにも都合のよいことには、なかなる肉体氏は米友に対しては、あちら向きになってわれと我が肌をさすっているし、米友氏はそのうしろ姿のみを眼に据えて眺めているのですから、おたがいに見せたり見られたりする目的としては完全に達せられているのですが、それによってもおたがいの羞恥心《しゅうちしん》というようなものには、全く相触れず、相知れざる形になっていることであります。
ああ、よく肖《に》ている!
米友は詠歎的にまでといきをつきました。
処女、或いは処女に遠からぬ女性というものの肉体は、誰が見てもそんなに違うものではないでしょう。それにしても、米友の眼からすると似過ぎている。こういう場合には、この男は、実体と幻想とを混同したがる癖がある。時とすると、死者と生人とをさえ混同したがる癖があるくらいだから。
間の山から紀州へ向っての山中で、盗賊の濡衣《ぬれぎぬ》を乾かすためにあの女の裸体姿を見て、自分は何とも思わないのに、相手の女をして面《かお》を赤くさせたこともある。このまま行ったならば、この男は、ついにその実体と幻影と――死人と生人との境界線を突破して、湯殿の中に面を突込み、「玉ちゃん――お前ここにいたのかい」と叫ぶかも知れない。
かかる敵あって自分を覘《うかが》うとは一切御存じのない湯殿の中の美しい肉体は、もはやその危険が身に迫ったことをも一切お感じがなかったが、天成不思議な力で、自他共にこの幻想から救わるるの時機が到着しました。
何の気もなしに美しい肉体のうしろ姿は、この時クルリと向き直りました。向き直ったというのは、一切の環境が変ったということで、それがために、以前右にあったものは左となり、左にあったものは右となり、前にあったものが忽然として後ろに廻るという革命なのであります。
「あっ!」と米友は、今度こそは正銘に叫ばなければなりません。今までのは、驚異と詠歎とを隠して慎しむだけの含蓄があったのですけれども、今は、到底それが追っつかなかったのですから、是非もなく、
「あっ!」
と米友流の叫びを立てて舌を捲いて、地団駄を踏んでしまいました。
後向きになっていた美しい肉体、その肉体から来るあらゆる米友としての幻想や、詩想が、僅かに向きを変えたその瞬間に、刎《は》ね飛ばされたと言おうか、蹴散らされたと言おうか、蹂躙《じゅうりん》とも、潰滅《かいめつ》とも、何とも言おうようなき大破壊に逢着してしまったというのは、後ろの美しさに引きかえて、何というこれは醜悪、醜悪というよりも恐怖、恐怖というよりも威嚇、威嚇というよりは侮蔑と言おうか、冒涜《ぼうとく》と言おうか、その美しかった肉体の主のその面貌!
米友も、不動様の面影以来、はじめて怖ろしいと思う面を見ました。それがために「あっ!」と言って、叫びを洩してしまい、地団駄を踏んで躍り上ったのですが、同時に、中の主はクルリとまた美しい背を米友の方へ向けてしまい、
「だあれ!」
その声は、怒れる如く、さげすむ如く、呪うが如く、狼狽《うろた》えたる如くして、実は悠然たるものがあり、米友をして三斗の冷汗の、身のうちに身を没するの思いをさせるだけの価値がありました。
だが、もうこうなっては、のがれるわけにはゆきません。先方の咎《とが》めが、許すまじき威圧を以て抑えているという意味のみではなく、実は米友の良心として、もはやこのままごまかしてはいられなくなりました。
「どうも済まねえ」
咽喉が引きつるような気持で、まずこう言って米友が詫《わ》びました。
「誰に済まないの?」
「なあに、つい、その、夜廻りをしていたもんですから」
米友としては、しどろもどろの弁解でありました。ところが、内の人は存外、落着いたもので、
「お前、友さんじゃないの?」
「うむ」
米友が唸《うな》りました。その瞬間に気のついたのは、この女人が別人ならぬお銀様であることを知ったからです。
湯屋のぞきの最初から米友は、その人とはちっとも気づいていませんでした。後ろ姿の美しい肉体を見て、そう気がつかなかったのみならず、クルリと正面を切った時に、その名状し難い面影をまともに見せられて、絶大の悪感と恐怖とを感ぜしめられても、なおその人とは覚ることはできませんでした。これはあたりまえのことです。誰でも今晩まで、この暴女王の正体を正のままでこう拝ませられた経験のあるものは、おそらく近親のうちにもないだろうと思います。米友の見ていたお銀様は、覆面を放すことなく、その覆面をさえ常に横に向けているお銀様でありました。
しかるに、今晩、この際、この暴君と荒神とを兼ねた女王の、生ける正体を拝むことのできた偶然――
米友は、ただただ戦慄しているのみでしたけれど、中なる主は、存外という以上に冷静なもので、そのくせ、ちっともこっちへは再度の正体を向けないで、
「友さんなら、かまいません、こっちへお入りなさい、そう
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