が取計らわんかと思案に暮れている者でござる」
「あ、左様でござるか。しからば、その負傷者というのは……」
こう言って、息せき切って近づいて来た件《くだん》の少年を見れば、これは、風流人たちとはまだ交渉はなかったものの、すでに、このつい先の駅まで姿を見せていたところの、岡崎藩の美少年、梶川与之助なるものでありました。
二人の風流人は、この美少年の血気と、斬られて倒れている事の体《てい》とを見比べると、二人の間に結ばれた刃傷沙汰《にんじょうざた》であるなとさとりました。
つまり、このおめず臆《おく》せざる少年の刀が、眼《ま》のあたりで頻《しき》りに鞘走っている気勢を見て、斬られている一方のあわただしいのを見ると、どうしても二人の間に、何か嫉刃《ねたば》の合わされるものがあって、とど、この一方が斬られてここへ来て斃《たお》れ、一方はその先途を見届けんとして、あと追いかけて来たものと、見れば見られないことはありません。
それはかえってよろしい――ここで当事者同士に引渡してしまえば、我々のかかり合いは免れる。
四十六
梶川与之助の言葉短かに語るところによれば、自分たちは一行五人と共に今日大垣に宿を取ったのだが、ともに雇うた一人の悪漢のために、同行の者の系図と金子《きんす》とを奪い去られた。
金子はさのみ悔ゆるには足らないが、系図は大切である。それがために自分はその者の後を追いかけ、ついにこれまで追い込んで来たのだが――
「こいつだ!」
岡崎藩の美少年は、何はともあれ、斬られて斃れているのをのぞきこんで叫びました。
「おたずね者の悪漢に相違ござらぬか」
「いかにも、こいつに相違ござりませぬ、屹度《きっと》あらためてくりょう」
と言って美少年は、当人の生死|如何《いかん》よりは、まず盗まれた物品の安否が心にかかるらしい。
「盗難の品々、いかがでござる」
風流人連も顔をあつめて心配する。
「金包――金子は二百両、たしかにこれに相違なし、系図こそは……」
打返し、打返し、斬られた奴の懐中をさぐってみたが、それらしいものはない。帯と、腰と、衣裳の内外のすべてを調べたがそれが無い。なお念のために、そこらあたりの街路と、路傍の地面という地面を見たけれども、それは見当らない。
「金子よりは、その系図が、それが命にも換え難いほどのもの」
美少年は、ひとりいらだちきっているが、無いものは無い。
「見つかりませぬか」
「見つかりませぬ」
「それはそれは」
「人手に渡すひまはなし、察するところ、追い詰められた苦しまぎれに、途中へ投げ捨てでも致したものか、振い落しでも致したものと見るよりほかはない」
「でござろうが、この当人がここに斬られているからには……何かまた」
「おお、それそれ、それでござりましたな、途中へ投げ捨てたものか、或いはここでまた賊にでも出で合い、ものしたものをものされた、というような次第ではござらぬか」
「そのことはわかりませぬな」
「モシ、申しおくれましたがあなた方は、いずれの御仁で、いかにしてこいつを、このところでお見出しになりましたか」
こう言って美少年は、改まって二人の風流人の面《おもて》に向って見ましたが、この二人は生地《きじ》からの風流人でした。風流を楽しまんがために良夜の関ヶ原を漫歩し、眼前不意の存在物によって、その風流をかき乱されたことの以外に立つ人ではありません。
「我々は、関ヶ原の秋の夜の風流を楽しまんがために、夜道を致した以外の何者でもござりませぬ、只今、ぱったりとこの場でこの仕儀を見ましたのみ、その以前のことは……」
この事件に就いては、なんらの予感をも感じなかったのである。
が――ただ一つ心がかりがありとすれば、それは、大谷刑部少輔の首をたずねて廻る超風流の女の覆面あるのみ――だがいくら疑おうとしてもそれは女人だ、ここへ引合いに出して、物議の種とするのは大人げない思いがする。
岡崎藩の美少年も、これより以上はいかなる手段をとっても、この二人から聞き得る何物もないことを知り、やがて決然として、二人の風流人に向って言いました。
「拙者は、この者をこの場に見守っておりまする故、おのおの方、御苦労千万ながら、最寄りの役所までこのことをお届け下さるまいか」
「それは、いと易《やす》きことでござる」
二人はこの頼まれをきっかけに、この殺風景の地を去ることを幸いなりとして、言い合わせたようにこの場を走り出しました。
時は、まだ決して天明の時ではなく、むしろ、これからいよいよ深夜の部に入ろうという時であります。
風流を以て今宵をはじめた二人の風流人は、極めて没風流な用向を兼ねて、関ヶ原の真中の夜に没入してしまいました。あとに残るは美少年と、その足許なる人の屍骸。
最初はただ、斬られている人の何者であるかを知るよりは、その者が果して盗難品を持っているか、いないかということを知らんとするに急にして、仔細にこれを検視してみるというような余裕はなかったのです。
それが今、こうなってみると、幾分か研究的の心になって、如何様《いかよう》にして斬られ、いかような創《きず》が致命傷になっているか、ということを知りたい心に駆られたものでしたが、見るとこの男の致命傷というのは、たった一カ所で、しかもそれは頭部から顔面にかけて横なぐりに一つなぐっただけの傷であります。横擲《よこなぐ》りに擲った切先が少し残ったものですから、ホンの甘皮ばかり、そのほかは西瓜《すいか》を輪切りに切り損ねたのが斜めにパックリ口があいたようなものです。
そのほかには一指を加えたほどのあともなく、無論、斬捨てて止めを刺してなんぞはありません。
徳川の初期に於ては、西瓜を食うことをいやがったものであります。西瓜は由井正雪の頭だ! と言って、その二つに割られた中身の鮮紅色なるを、この上もなく不祥の色として忌《い》み怖れた時代もあったのであります。
同じく人を斬捨てるにも斬捨てようがあると、美少年は思案に暮れた時に、はじめて自分の手が、かなりの血痕に汚れていることに気がつき、この手を洗わなければならぬと思いました。
美少年は、手を洗おうとして思わずあたりを見渡した時に、つい鼻のさきの産土八幡《うぶすなはちまん》の社内で、物のうごめく姿を認めました。
こういう場合ですから、手のことは忘れて、その手を握り、じっと闇を透して、そのうごめくものの形を見定めようとすると、その物影は難なくスルスルと八幡境内の闇を出て来て、この街道の真中まで走り出したものですから、その輪郭を見て取るには、おのずから与えられたような形になったものです。
それは実に、一個の少年が手槍と覚しいものを構えつつ、今し、八幡の境内の中から走り出し、何物をか追いかける姿勢であります。
猟師が鹿を追う時、鳥さしが鳥を覘《ねら》う時に、ちょうどこんな姿勢をする。前路にねらうものがあればこそ、後ろに美少年のあることを知らない。
美少年はそれを実に、以ての外の振舞だと思いました。けれどもそれは自分というものの存在をここに認めて、それを避けようとして走り出したものでないから、現にここに行われた兇変に交渉のある人間とは思われない。何か別に怪しむべきものを認め得たればこそ、ここに我というものがあることを忘れて、それを追い求め行くものに相違ない。
この怪しの者の正体こそ、宇治山田の米友であると知ってしまえば何のことはないのですが、それをわきまえぬ美少年にとっては、この際、合点《がてん》のゆかぬ至極の人影である。良不良に拘らず、それをつき留めることは応変の仕事でなければならない。一方、その小さき人影に向って追い行くと、それを感づいたか、感づかぬか――こちらが追えば彼も走り、彼が走ることによって、こちらが追えば彼の転身は一層鮮かなものですから、美少年はちょっと、人か怪獣かの区別さえつきかねる気持になりました。
それだけに、興味も異常に集中して、ともかくもこれをひとつ手捕りにして置いてその上――と、彼は全能力をつくして驀進《ばくしん》しようとした時に、その行手にはたと立ち塞がったものがあります。
それは、ちょうど、深山を旅するものが、ももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]と呼ぶ動物のために、眼も、鼻も、口も、抱きすくめられてしまうような呼吸で、かの小さき怪しいものと、我との間に立ち塞がったけれども、ももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]ではありません。
「いけません、あれはああして置きなさい、あなたの知ったことではありません」
彼と我との間に割って入り、ももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]のように少年を抱きすくめてしまって、こう言い聞かせるその人は不思議にも女の声、説明してしまえばお銀様その人の声でありました。
その時、街道筋がにわかに物騒がしく、提灯《ちょうちん》をかざした多数の人がこちらへ向いて走り来るのは、まさしく先刻の風流人たちの報告によって、宿場の係りの人たちが出動して来たものに相違ありません。
四十七
変事を聞きつけて集まり来《きた》った宿役その他の連中に、この場の事と人とをうち任せたお銀様は、いつのまにか、松尾村への草むらの中をひとり歩いていました。
「お嬢様――お前《めえ》という子も、人に世話を焼かせる子だなあ」
林の中から弾丸黒子《だんがんぼくろ》のように躍《おど》り出したそれは、宇治山田の米友であります。
米友は、右の手に例の杖槍を担いで、左の手で早くもお銀様の帯をとらえたものです。
「友さん」
「うむ――お嬢様、お前、女のくせにそうひとりで夜歩きをしちゃいけねえ」
「いいのよ」
「よかあねえ」
米友は少しくどもって、
「そうお前、子供じゃあるめえし、いい年をしてよる夜中、出歩いちゃ困るじゃねえか、親方が焦《じれ》ったがるのは無理ぁねえな。ちぇっ、どうしてそう、みんな人にばっかり世話を焼かせたがるんだろうなあ」
と、米友が口惜《くや》しがりました。事実、米友をして世話を焼かせるのは、今晩のお銀様にばっかり限ったものではない、もっといい年をしながら、世話を焼かせることを本業に心得ている道庵という親爺の如きもある。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
とお銀様は笑いました。
「誰も世話を焼かせようとはしていないのに、勝手に世話を焼きたがるからおかしいじゃない?」
「勝手に世話を焼きたがる奴があるものか、お前にしろ、道庵先生にしろだね、ほんとうにこのくらい人に世話を焼かせりゃ話はねえやさ、まるで眼がはなせねえんだからな、人がちょっとでも眼をはなしてみようもんなら、どこへ飛び出して、何をするかわからねえ」
「大丈夫」
「当人だけは大丈夫だって、ひとはそうはいかねえよ、よる夜中、こんな淋しいところをひとり飛び歩いてみな、どういう奴が出て、どういう目に逢わせられるか知れたものじゃねえぜ、おいらなんぞは、槍が出来るからいいようなものの……」
米友は、ここで自分の槍の出来るのを自慢で言うつもりはない。いささかでも腕に覚えのあるものならまあいいとして、それでも慎まなければならないのに、何の防備も手段も持ち合わせない女性の身の、ひとり歩きの危険を警告した親切の意味が充分に籠《こも》っているのですが、それをお銀様は軽くあしらって、
「心得ていたって怪我をする時は怪我をします、怪我をしない時は怪我をしません、それに……わたしなんぞに、誰も怪我をさせようなんて心がけているものは一人もありませんからね、怪我の方が逃げて行ってしまいますよ」
「ちぇッ――聞いて呆《あき》れちまあな、怪我の方で逃げて行くなんてやつがあるものか、いまに大怪我をしてみなせえ、そのとき思い知っては遅いぜ」
「怪我――といったところで、死ぬより大きな怪我はありますまい」
「ちぇッ――お前という子も、よくよく理窟屋だなあ」
「理窟じゃありません、物の道理よ」
「おいらが迎えに来たんだから帰ってくんな、お前を連れて帰らねえと、また、おいらが親方から大目玉を食うんだからな」
「親方と
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