言い、河童と言い、天狗小僧と言い、筍八段というのは自称他称が混乱していて、どれをどれとも分らないが、この二人のもの、黒白を持たせてはたしかに人間業とは思われないひらめきを見せる。
 かれ一石、これ一石と下ろしながら、人間界の碁打ちをコキ下ろしている罵詈讒謗《ばりざんぼう》を聞いていると、なかなか面白い。伝うるところによると、近来、武州八王子あたりから天狗小僧なるものが出現して、遠く美濃尾張あたりまでの聯珠界を風靡《ふうび》しているということだが、それだ!
 とにかく、この出来損いの寒山拾得の悠々閑々たる聯珠、眼中人なき天狗心のために、妙応寺門前の今晩の魔気が払われてしまいました。
 魔気が払われてしまっては、幽霊の出現の場所がない。
 とはいえ、引込みのつかぬようなことはあるまい。例えば寺門の前はこうして天狗小僧と、海豚童子のために塞がれてしまったとしたところが、遊魂は必ずしも山門の中に済度されてしまわなければならぬはずはないので、道は到るところになければならない。
 妙応寺の裏山を、ほとんど真一文字に岩倉の方へ抜けると、そこはやがて、れっきとした北国街道が横たわっているし、ちょっと左へとれば大野木から、江州長浜方面へ一辷《ひとすべ》りという道にも通ずるはず、ぜひこの東海道をとって、どっちかへ形をつけなければ動きのとれないという約束はないはず。
 事件もまた、このところ、道筋と同じように、前後が少々ややこしくはなっているけれども、もうこの時分は完全に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎と、その携えた養老の美酒とは、寝物語の里に届いている。お蘭殿はいい気持で、もぬけの殻に向ってエロキューションを試みて、試み疲れてうとうとして、つい寝過ごし、枕一つを抱えて国越え――という時刻になっているに相違ない。

         四十四

 これよりさき、二人の風流客は、小笹篠原を探し分けて、ほとんど道なき方へ進んで行きました。
 この二人というのは、生国郷関のほどはわからないが、来ることは今晩、確かに西の方から来て、寝物語の里で一夜の思い出を楽しもうとしたが、それが意外にも先客に占められて、泊りはぐれて、不破《ふわ》の関まで伸《の》して一段の風流を試みようと出かけた二人の者であるが、その行先を見ると、不破の古関ではない、かえってその小関の方へ向って、小笹篠原を押し分け押し分け進んでいることが明らかであります。
 不破の関には大関と小関とがある。
 大関は今や彼等が、もう一歩で当然おとずれていなければならない地点であるが、それがこうして小関の方へ向いてしまっているのは、何か道標があって、そぞろ心に誘われたのか、実際この夜が爽涼なる秋の良夜であって、「秋風や」というのを「名月や」とでも置き換えたらば、そのまま藪《やぶ》も畠も、到るところが不破の関になってしまう、すんなりと志すところまで行ってしまったのでは、あっけないという感じから、わざわざ小路をえらんで、そうして本道とは別に、北国街道を擁するところの不破の小関をまずとぶらわんとするものらしい。この二人は本当に風流人であるが故に、小笹篠原を押し分け押し分け行くうちにも、
[#ここから2字下げ]
霞もる不破の関屋に旅寝して、夢をも得こそとほさざりけれ
人すまぬ不破の関屋の板びさし、あれにし後はただ秋の風
ひま多き不破の関屋はこの程の、しぐれも月もいかにもるらん
[#ここで字下げ終わり]
 これらを朗々と謡の調子で口ずさんで、受けつ渡しつする。ややあって、頭上に高く松の木の亭々たるその幹に一本の白旗が結びついて、静かに垂れているのを認める。
「白旗が一旒《いちりゅう》――音もなく竿にもたれている、なんとなく物々しい」
「おやおや、ここに小流れ、御用心さっしゃい」
 一人は高く松の上なる白旗に気を取られ、一人は道を横切る小流れに足をすくわれた形である。やがて、叢《くさむら》の間に一つの小さな祠《ほこら》を二人が同時に見つけました。
「おや――この辺が小関のあとでござろうか」
「左様――」
 二人がまたここで同時にまよっていると、荒原の夜気深々たるものが身に迫るのを覚える。
 どちらともなしに、
「誰か後ろから人が来るような気配《けはい》が致すではござらぬか」
「左様、さいぜんから左様な心持もいたしました、誰やら後を慕うて参ったように思われもいたしたが、耳を澄ますとやはりそのわれとわが足のこだまでござったげな」
「左様ならば仔細ござらぬ」
「モシ――」
 祠のうしろの尾花の茂みから、人の声がしたのである。これも二人同時に聞きは聞いたが、それは空耳《そらみみ》に違いないと打消すことも同時でした。
「もうかれこれ八丁はまいりましたな」
「左様――小関のあとは、いずれならんとたずねわずろう」
「モシ――あなた方は、御風流で夜の関ヶ原を御遊放の方とお察し申し上げますが、少々おたずね致したいのは」
 ここまで明瞭に呼びかけられてみると、もう空耳だとか、僻耳《ひがみみ》だとか、自分の感覚を疑ってはおられない。
「どなたでござる」
「はい、わたくしも同じく旅の者でございまして、関ヶ原の秋の夜があんまり淋しいものでございますから、宿をうかれてこれまでまいりました」
「御女性《ごにょしょう》のお身ではござらぬか」
「はい」
「きつい御風流、全くこれ、恐れ入りました」
 二人は同時に、松の木のうしろ、尾花かるかやの中を見込んで、そこに覆面した――しかし同じ覆面でも、これより先に寝物語の里から、妙応寺坂をふらふらと下りにかかった覆面の遊魂とは全く別物です――しとやかな婦人が一人、全くともをも連れないで、この荒原にさまよい出でているということは、これこそ宙にさまよう遊魂のたぐいでなければ、自分たちの同病者以外のものでありようはずはありません。
 二人の風流人は、風流の地に落ちないことを衷心《ちゅうしん》よろこびに堪えなかったようです。自分たちは寝物語の里での失敗を、関ヶ原の夜でいま充分に取返しつつあるこの良夜、旅の身にして、しかも女性でありながら、この名所と、この良夜にそむきかねてたった一人で、もはや自分たちの先《せん》を越してまで不破の小関へ、あとをとぶろうている者が存在していることは、せちがらきことのみ多かるこのうつし世に於ける風流道のための名誉でなくて何であろう。
 二人が同時に敬服して、全く恐れ入ったというのは、お世辞のみではなく……
「清風明月、何という良夜でございましょう。この良夜を古関のあとに来て、このままで過すは、まさに良夜にそむき、名所にそむき、風流にそむくものでござろう。されば我々は、寝物語の里を経て、ついうかうかとこれまで迷い込みましたのは、古関の清興は後まわしと致し、先以《まずもっ》て小関の人訪わぬ昔をとぶらわばやとの寸志でござった」
「左様でございますか――御風流、まことにお羨《うらや》ましいことでございます」
 覆面の女は、はっきりした物の言いよう。しとやかで、そうしてわるびれてはいない。
「どちらの方面からお越しになりましたな」
 一人の男がたずねると、女はそれを押返して、
「失礼ながら、あなた様方は、いずれからお越しになりました」
「拙者共は……」
「お名乗り下さい」
「は」
 風流人二人は、機先を制せられた気味です。
 事実、ここへは関所をしのぶ風流のために来たので、お関所のお調べを受けんがために来たのではないのです。まさか、この女性が御関所役人の変装で、自分たちを胡乱《うろん》と見こみ、詰問のために出た者でないと信じて疑わなかったのは、関所とはいえ、不破の関は千何百年前の不破の関で、その以後は、政治的にも、軍事的にも、存在は認められていない、純粋の名所としてのみの関所であることを、充分に呑込んでいるからであります。

         四十五

 だが、二人の風流人は故意か、好意か、この思いがけない関所あらために対し、神妙に返事をして、郷貫と姓名とを名乗ってしまいました。
「拙者は、越前敦賀藩の湯浅五助」
「拙者は、紀州和歌山の藤堂仁右衛門」
 二人がこう言って尋常に名乗ると、直ぐそのあとをついて、覆面の女性が問いかけました、
「では、あなた方にお聞き申せば、たしかにわかると存じますが、あの――大谷刑部少輔《おおたにぎょうぶしょうゆう》の首の埋めてあるところはどちらでございましょう」
「何と仰せらるる、大谷刑部少輔殿の御首《みしるし》の在所《ありか》?」
「はい、わたくしの力では、尋ねあぐんでいるところでございます、あなた方ならばおわかりと存じますが」
「これはまた、途方もないお尋ねもの――して、あなたは、何のよしで今頃それをお尋ねになる?」
「何のよしもござりませぬ、ただ、あなた方にお尋ねしたら、それがわかるかと存じまして」
「以ての外――よしそれを存じていたところで、他人に明かすような拙者共ではござらぬ」
「では、仕方がございません」
 こう言うと、おのずからこの怪しい女性と、風流の二人連れとは、左右に立別れてしまいました。
「驚きましたな」
「驚きました」
「我々でたらめの姓名を名乗ったに、あわてもせず、刑部少輔が首のありかを尋ぬる女性――身の毛がよだちました」
「足が、おのずから戦《おのの》きながら、やっとここまで来て生ける心地が致した」
「風流もここまで来ては空怖ろしい、胆吹山には近来、女賊の巨魁《きょかい》が籠《こも》っているという噂だが、そんなんではあるまいか」
「恐ろしい」
 二人の風流人は、小関の白旗の下から、飛ぶが如くに八丁の道を、産土八幡《うぶすなはちまん》の前の本道へ出てしまいました。
 本道といえども、深夜の関ヶ原ですから、藪《やぶ》も、畠も、まばらに立ち並ぶ民家でさえが、みな一様に不破の関。
 それでもここまで来ると、恐怖心が解け去って、風流心が追加してきました。
「藪も、畠も、山も、川も、森も、林も、村も、小家も、みな不破の関――」
「明月や到るところが不破の関」
 こう言って、関ヶ原の本道の真中に立って、美濃へつづく曠原の秋の夜に眼を放つと――
「や!」
 つい間近な足許《あしもと》の一地を一点のぞんで、一人が立ちすくむと、それにおぶさるように一人も立ちすくみました。
「や!」
「人が……」
「人が斬られている」
 いかに風流人でも、街道の真中に、人命が一つ、朱を流して抛《ほう》り出されているという現象をば、無条件では風流化しきれない。
「無慙《むざん》!」
 全く無慙なことでした。
「飛脚ではないか」
「飛脚|体《てい》のものに見ゆるが……」
「雲助ではないか」
「折助ではないか」
「デモ倉ではないか」
「そうでなければプロ亀」
「江戸川乱歩か」
「大下|宇陀児《うだる》か」
「ただし加賀爪甲斐守ではないか」
「坂部三十郎とも思われない……」
 自分らのせっかくの風流がここまで来て、粉砕されたのみならず、かかり合い上、どうしてもこれをこのままではごまかしきれない立場に立到っている。
 声をあげて大きく叫ぼうか。叫んだところで、この場合、そうさっきゅうに駈けつける人があろうとも思われぬ。やむを得ない、一人がこの場に立番して、一人が然《しか》るべきところまではせつけて報告することだ。だが、この二つの役廻りはどちらに廻ってもぞっとしない。ここで、ひとり、斬られ人を守っていることの無気味さは、これからひとり陣屋まで走って行く無気味さと相譲らない。
 二人の風流人は、風流気も全く醒《さ》めてしまって、その処分にうろたえきっているところへ、東の方からハタハタと人が馳《は》せて来る物音を耳にしました。
 敵か、味方か、それは知れないが、逃れらるべき場合ではないと観念最中へはせつけたのは、まだうら若い一個の少年に相違ない。
「曲者《くせもの》! 動くな」
と先方が叫んで、鞘走《さやばし》る刀をかいこみ、かいこみ、はせつけて来ました。
「いや、拙者共は曲者ではござらぬ、通りがかりの旅の者、このところで計らずも一人の負傷者を発見いたしたこと故に、いか
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