た》りで、仙台には美い女が生れねえということなんだ、だから……」
 それをいま思い出したが、七兵衛には必ずしもそれを肯定するわけにはゆかない。仙台だとて、決して婦人の容姿は他国に劣ったものではないのだ。現にこの芸妓たちだからといって、江戸前と言ったって恥かしくもないのだ。といって、特別に七兵衛の眼を惹《ひ》くほど綺麗だとも、イキだとも感心したわけではないのだが、今日は芸妓日だ――とでもいったように、芸妓を眼の前につきつけられることの機会が多いのと、それから、出がけに見た「塩釜じんく」の妙に威勢のよい情調が、何か七兵衛の心を捉えたと見え――
 そうだ、そうだ、ここの名物として「さんさ時雨《しぐれ》」というのがあったっけ、退屈|凌《しの》ぎに名所古蹟だけは見通したが、まだ耳でもって名物を味わうことはしていない、せっかく仙台へ来たことに、「さんさ時雨」を聞いてみないことには話にならないというものだ。
 七兵衛がふと、妙なところへ力瘤《ちからこぶ》を入れる気持になって、一番、今夜は奮発して、あの芸妓たちを総あげにして「さんさ時雨」を唄わしてみるかな。
 七兵衛はふと、こんなことを考えながら、賑《にぎ》やかなところを、芭蕉ヶ辻から――フラフラ、青葉城の大手の門の前に来てしまいました。
 この間も来たところだが、ここまで来ると、七兵衛はまた、ゆっくりと、このお城の見物人となり、なんにしても素敵な城だ、お江戸の城からこっち、これほどの城は見たくも見られねえ。
 そのはず、二十一郡六十八万石とは言うが、それは表高で、実収は百八十万石とのこと。
 この城を築いた伊達政宗公というのが、まかり間違えば太閤秀吉や、徳川家康に向っても楯を突こうというほどの代物《しろもの》だから、それ、今時、薩摩や長州がどうあろうとも、こっちは仙台|陸奥守《むつのかみ》だというはらが据わっている。
 太閤様、権現様、信玄公、謙信公と同格の家柄だというはらがあるから、この城の家相を見てからが――以前にもちょっと出たことがあるが、これが七兵衛は一種の家相見であります――全く立派な貫禄で、どこへ出してもヒケは取らねえ、奥州の青葉城、うしろに青葉山を控えて、前は広瀬川がこの通り天然の塹壕《ざんごう》をなしている。城下町と城内との連絡もよくついて、大軍の駈け引きも自由であり、いざとなってこの広瀬川を断ち切りさえすれば、後ろは山続きで奥がわからない、そこで城だけが天険無双の構えとなって独立自給のできる仕掛になっている――見かけから言っても、実地から言っても、これだけの要害な大城というものは、ほかにはちょっと思い当らない。日本一の青葉城――といってもいいが、ただ一つ不足なのは水が足りない、水分が乏しい。なるほど、この広瀬川が天然のお濠《ほり》になっている、この切り立った岩、こういう天然のお濠が出来ているという城はほかにはなかろうぜ。江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城《ひらじろ》で、お濠というのは人夫の手で掘りあげたお濠なんだ。ここのは天然の切岸と、川の流れそのままがお濠になっている――優れているのがそこで、また足りないところがそこだ。これだけのお濠にしては、水があんまり少な過ぎる、これだけの城を前にしてはもっと漫々たる水が欲しいなあ。たとえば江戸のお城のお濠にしても、人夫が掘ったお濠には違いないが、関八州の水が張りきっているという感じがするね。大阪はもっと水の都だ――この青葉城に、江戸や大阪のような豊かな水分がありさえすれば、それこそ日本一――水気が不足だなあ。ここに水沢《すいたく》の気があれば、天下の運勢は奥州の伊達へ傾いて来るのだが――
 七兵衛は、こんなふうに自己流に青葉城の城相を見ていたが、そのうち、ふと彼の頭に閃《ひらめ》いたところのものがありました。
 奥州仙台、陸奥守六十八万石のお城、ただここで、こうして拝見している分には誰も咎《とが》める者はない代り、誰にもできる芸当だ、誰も見られないところをひとつ、この七兵衛に見せてもらうわけにはいくまいか、奥州仙台へ来れば、誰でも拝見のできるところを拝見して、誰も感心するところだけの感心をしていたのでは、七兵衛が七兵衛にならないではないか。
 ここで七兵衛の間違った野心と、自覚とが、ムラムラと頭を持上げて来たのは、持った病とは言いながら、不幸なことでありました。
 なあに――江戸のお城の、御本丸の紅葉山《もみじやま》までも拝んで来たこの七兵衛だ、奥州仙台であろうが、陸奥守であろうが、枉《ま》げて拝見の許されねえという掟《おきて》はあるめえ。
 狂言で見た先代萩――そうだ、そうだ、あの、きらびやかな御殿や、床下がこの御城内にあるのだっけ。仁木弾正《にっきだんじょう》は鼠を使って忍びの術で入り込んだが、七兵衛は七兵衛冥利だ、こいつは一番、このお城の中の隅から隅――六十八万石の殿様のお居間から、諸士方の宿直部屋《とのいべや》、飯炊場《ままたきば》も、床下も、書割《かきわり》で見るんじゃねえ、正《しょう》のものを、正でひとつ、後学のために見ておいて帰るのも話の種だ。
 七兵衛は、これを考え出すと、今まで青葉城をながめていた眼の色が変ってきました。そうして、今まで退屈し切っていた心の緒《いと》が、急に張りきったのを感じたようです。
 駒井の殿様のお船が着くまでの睡気《ねむけ》ざましだ、なにも物が欲しい惜しいというわけのものではない、七兵衛は七兵衛冥利に、誰にも見られねえところの、六十八万石のお城の内部の模様を、一通り拝見すればいいのだ。
 それだけのことなら、こっちにとっては朝飯前と言いたいが、夜食の腹ごなしに、持って来いの前芸だ――今夜は一番、それをやっつけよう。
 七兵衛としては、この際、別段に路用に困っているという次第ではなし、人の急を救うために危うきを冒《おか》さねばならぬ義理合いがあるというわけでもなく、ただ閑々地にいて、つい不善を心がけるという心理からではないにしても、持った病の虫が、むらむらと頭をもたげたのは情けないことと言わねばなりません。もともとこの男は、慾で盗みをするより、手癖でする、好奇でする、興味でする。本能が、つい心と手とを一緒にそっちへ向けて、曲げてしまうことが多い。
 前に、芸者のあだ姿を見て、そぞろ心を動かしてみたが、今は、そのがらにない要《い》らざる遊興心が、すっかり吹っ飛んでしまい、今お城を見て動き出した本能心だけは、どうしても分別と反省が無い、のみならず、ムラムラといっそう昂上するばかりで、久しく試みなかった腕が鳴り――なあに、江戸の本丸、西の丸へでさえも御免を蒙《こうむ》れるほどのおれが、奥州仙台六十八万石が何だ――
 という慢心を、もはや如何《いかん》ともすることができませんでした。

         三十六

 明日は、どう間違っても、仙台湾に無事入港という確信を得た駒井甚三郎は、全く重荷を卸した喜びに打たれました。
 この重荷を卸したというのは、いろいろの意味にとることができます。自分の創製が全く試験済みになったというのと、自分の船によっての前例の無い処女航海を無事に果したという成功の喜び――それから最近、この船を王国か民国か知らないが、自分たちの新しい領土をめがけての世界的遠征の可能、そんなような複雑した感情で、前の晩、駒井甚三郎は、船長室の燈明《とうみょう》を以て前途の光明を見つめつつ、なお油断なく船を進めて行きました。
 しかし、一つ越ゆればまた一つの難所――がある、人生にはそれからそれと連続して関門のあることを、駒井は決して忘るることができません。一つの成功の次には他の魔障、しからずんば難関がもう待ち兼ねて目白押しをしている。
 駒井は、船の構造と、航海の技術との第一成功と共に自信は得たけれども、この処女航海の内容全部が、必ずしも成功とは言えないことを認めずにはおられません。失敗とは言わないが、工業として、技術としては成功のみが全部ではない、人心の和というものが一大事であることを、忘れるわけにはゆきません。
 この清新な門出の一歩に、もう船の中に悪い空気が湧いている。この悪い空気は、とりあえず兵部の娘の船室から起っていることを、駒井はよく知っております。
 お松という子に於て、駒井は最もよき秘書と助手とを得ました。駒井がお松を信任すること、お松を信任せざるを得ないほど、お松そのものの素質が適合していることが、兵部の娘にとって不平であり、嫉妬でもあり、反抗の源ともなろうとしている空気が、駒井にはよくわかるのであります。そうして、兵部の娘はその鬱憤のためにマドロスを近づけていることもよくわかります。
 殖民には女子が無くてはならぬ、婦女子を伴わぬ殖民は、結局、海賊に等しいものになって、永遠の成功は覚束《おぼつか》ない、なんぞということは、駒井も研究しておりました。このたびの船出に当っては、単純に、自分の身辺に居合わす人々を授けられたもののようにして、格別吟味もせずに収容しました。駒井としては人間性にさのみ甲乙を認めるということがありませんから、かえって環境によってねじけさせられたり、荒《すさ》ませられたりした人間を伴って行くことが、別の世界の陶冶《とうや》の一つの趣味であるとさえ考えられていたのです。田山白雲はまた一種の豪傑の徒であり、七兵衛は実直な農夫とも見えるが、またなかなか食えないところもある苦労人とも見られるが、頼めば頼もしい人間であり、つかえる人間であることは駒井が認めています。ことに彼が農業に堪能《たんのう》であるということは、新天地を拓《ひら》くのに無くてならぬ素養だと思いました。
 マドロスもまた使いようによって、至って大きな便宜を供してくれる。房州で集めた船夫《せんどう》たちは、普通の船夫以上には毒にも薬にもならないが、その道にかけては安心でもあり、上陸して善良なる土着民となり得る。清澄の茂は一種の天才であり、あの存在が一般の芸術をつとめる。金椎《キンツイ》は黙々として聖書を読み、旨《うま》き料理を一同に提供することを使命としている。
 登があれば乳母《うば》がなければならない。おのおの、その様によって集められた人材は、用い方でみな無くてはならぬものになる。
 ひとり、岡本兵部の娘だけがいけない。これがいけないのではない、その娘だけを船中へ単独で収容して置けば何のことはないのだが、お松という娘がいるためにいけない。ではお松が悪い女か。悪いどころではない、その良き女性なるがために、一方がますます悪くなって行く。女では手を焼いた経験の多い駒井甚三郎が、この雲行きを見て、少なくともこれが新殖民最初の悩みとなるのではないかと思いました。
 男子はおのおのその職に於て用ゆれば用い得られざるものは無いと信じているが、女子にはその法則が通らない。
 これは寧《むし》ろ、後日の禍根のために、兵部の娘をこの船から隔離してしまうか――それはできない。
 では、何かの威圧か、才能かによって、あの娘を使いこなすか、それも容易ではないことだと駒井は感じました。
 女子と小人は養い難し――駒井は、やっぱりそうしたものかなあ、そうして、自分たちが必ずしも大人君子というわけではないが、ともかくも理想の天地を拓こうとする途に向っても、必ずしもその理解者のみが集まるものではない、かえって、その目的と全く齟齬《そご》した仲間を、同志のうちに加えて行かねばならない――たとえば女子と小人とは養い難いものであるとも、結局は大人君子の背負物《しょいもの》であって、度し難いものであるに拘らず、背負いきらなければならないのが人生の約束か知らん、とも思われてくるのです。
 駒井甚三郎は、当面の欣喜と、前途の希望のうちに、明らかにこの悪い空気の※[#「酉+慍のつくり」、第3水準1−92−88]醸《うんじょう》を見てしまいました。それを考えているところへ、清澄の茂太郎がやって来ました。

         三十七

 茂公は例によって、般若《はんにゃ》の面を小脇にしながら、突然に船長室
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