て、珈琲《コーヒー》茶器を持ってコック部屋の方へ行きました。

         三十三

 コック部屋へ来ると、コック見習をしていた六さんというのが、いきなり言葉をかけて、
「忠さん、今日はお絹様がおいでになりませんでしたね、それでマネージャがたいそうがっかり[#「がっかり」に傍点]していましたね」
「あ、そうでしたねえ」
「マネージャは、今日の実験をお絹さんに見せたかったんだね、そうしてその交易に、お絹さんの顔を見たかったんだよ」
「そうか知ら」
「そうかしらじゃねえね、うちのマネージャときちゃ、すっかりお絹さんに参ってるんだぜ」
 コックの六さんが、だんだん小声になって言うから、
「そんなことはあるまい」
「ないどころか、日本の絹は世界一だってね、それと同じことに、マダム・シルクの年増《としま》っぷりが、飛びきりの羽二重《はぶたえ》なんだとさ」
「マダム・シルク?」
 その時に、忠作がハッとしました。そうだ、最初に自分が行った時に、今日はマダム・シルクが来るはずだが、来たら早速庭へ通せとマネージャが言った。
 実験が済んだ後に、今日は来るべき約束のマダム・シルクが来ていない、残念と言った。
 その何であるかは、忠作の頭にその時までピンと来なかったのだ、多分知合いの西洋人の友達だろうぐらいに心得て、お茶を濁した返事でごまかしていたが、今こう言われてみると、ヒシと思い当るのだ。そんならば、そのように返事のしようもあったものを――自分ながら何という血のめぐりの悪さだ、何が若くて頭がいいんだ、そのくらいの気転が利《き》かないで、どうして外国人のお相手がつとまる!
 何のことだ、ばかばかしい。
 忠作は、一時、全く自分というものが、やっぱり低能児のお仲間でしかあり得ないのではないか、と歯噛《はが》みをしてみたのです。
 事実、この支配人が、お絹さんにまいっているのかいないのか、そんなことは詮索《せんさく》する必要はないが、お絹さんをマダム・シルクと呼ぶことは洒落《しゃれ》にしても、立派に筋の通った洒落だ。まして、あちらは洒落でも揶揄《からかい》でもなく、多少の熱情と敬意を持つ真剣の呼び名であるとしたら、そのくらいのことを心得ないで、外人相手の奉公なり、商売なりが勤まるか、つとまらないか。
 忠作は自分ながら、それを歯痒《はがゆ》さに堪えられないでいたが、そうかといって、いつまでクヨクヨと物案じをしている男ではない、コック部屋からまた給仕部屋へ帰ってから、このことがきっかけに、妙な方へこの少年独特の頭が働き出してきたことです。
 日本の絹は世界で第一等だ――とここのマネージャが言っていると、今もコック見習の六ベエが言った。それに違いない、そのことは常々自分も聞いていたのだ。聞いているのみではない、各地から、いろいろの絹と絹織物をマネージャが取寄せて、自分も手伝ってその整理に当ったことがある。その時に、もっと自分に語学が分りさえすれば、この絹の質はどうで、産地はどうで、織りはどうだということを、事細かに説明してやれるのだが、言葉の不自由から、その方面の知識は多分に持ちながら、如何《いかん》ともすることのできなかったのを、もどかしがったことがある。
 順序を追うてそれを思い返しているうちに、発止《はっし》とこの少年の頭に閃《ひらめ》いたのは、そうだ、この絹だ、この絹をまとめて、外国へ売ってやることはできないか。
 いま、日本に来ている外国人なぞは、本国はおろか、たいてい世界の各地を渡り歩いて来ている人たちだ、それが特別に日本の絹を珍重がるからには、日本の絹には、たしかに世界の何国のものも及ばない特質がある証拠に相違ない、そうだとすれば――そうして日本の国では、絹なんぞは、そんなに珍しくないのみならず、こしらえればいくらでも出来る。桑を植えて、蚕を飼いさえすれば無限に生産のできる品なのだ。現に自分の故郷の甲州なんぞでも、山畑の隅々までも手飼いの蚕のために桑を植えてある。いかなる賤《しず》の女《め》も、養蚕の方法と、製糸の一通りを心得ていないものはない。
 これを買い占めて、外人向きに精製して売る――これはたしかに商売になる、そうして仕事が大きい、生産は、天然に人力を加えるだけだから、無限にあとが続く。
 そうだ!
 忠作はついに、マダム・シルクをこんなようにまで算盤《そろばん》にかけて、おのずから胸の躍《おど》るのを覚えました。

         三十四

 駒井甚三郎が最新の知識を集中してつくり上げた蒸気船よりも、七兵衛の親譲りの健脚の方が、遥かに速かったのは是非もないことです。
 磐城平《いわきだいら》方面から、海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻《いしのまき》の港へ、一足飛びに到着して見ました。
 駒井の殿様の一行の船はどうだ――もう着いているか知らと、宿も取らぬ先に港へ出て隈《くま》なく見渡したけれど、それらしい船はいっこう見当りません。
 でも、七兵衛はガッカリしませんでした。何しても前例のない処女航海ではあり、極めて大事を取って船をやるから、到着の期限は存外長引くかも知れない。万一また、途中、天候その他の危険をでも予想した場合には、不意に意外のところへ碇泊《ていはく》してしまうかも知れない。それにしても目的地は石巻に限っているから、船に進行力のある限りは、石巻到着は時間の問題である――先着した時は、多少気長に待っていてもらいさえすればよろしい――その打合せはおたがいによく届いていましたから、船が港に見えなくても、七兵衛は心配するということなく、相馬領から鉄を買い出しに来た商人のようなふりをして、石巻の港のとある宿屋に宿を取りました。
 そうして当座の仕事というものは、毎日毎日海を眺めることです。海を眺めて目指す船の影が見えるか見えないかという当りをつけることが毎日の日課ではありますけれども、この日課は、仕事としては実に単調過ぎたものであります。
 そこで七兵衛は、副業としての、この近辺の名所古蹟を見物して歩くということが、本業のようになってしまいました。
 名所古蹟を見るつもりならば、この辺は決してその材料に貧しいところではありません。その頭と興味とを以て臨みさえすれば、数カ月この辺に滞在したからと言って、さのみ退屈するところではないのです。
 早い話が、この石巻の港にしてからが、奥の細道を旅した芭蕉翁が、この港に迷い込んだことがあるのであります。
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「終《つひ》に道ふみたがへて、石の巻といふ湊《みなと》に出づ。『こがね花咲く』と詠みて奉りたる金花山海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、竈《かまど》の煙たちつづけたり。思ひがけずかかるところにも来《きた》れるかなと、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明くればまた知らぬ道まよひ行く」
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なんぞは、今の七兵衛の身に引かされもするし、旅情及び詩情の綿々たるものを漂わせないではないけれども、七兵衛は、日頃あんまりそういうことに興味を持っていないのです。
 それから、石巻の港は河村瑞軒《かわむらずいけん》が設計したとかしないとか――尾上川の河口が押し出す土砂で、せっかくの良港を埋めてしまう、これを何とかせぬことには、この東北第一の名をうたわれた港も、やがてさびれてしまうだろう――なんという心配も、七兵衛には少し縁遠い。ただ、名にし負う奥州仙台|陸奥守《むつのかみ》六十八万石の御城下近いところであることによって、仙台の城下はおろか、塩釜、松島、金華山等の日本中に名だたる名所は、一通りこの機会に見ておこうと企てました。
 だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として渡り歩いていれば、普通には優に二十日や三十日の暇をつぶすに充分でありますけれども、七兵衛の迅足をもってしては、まことにあっけないものでありました。それでも瑞巌寺《ずいがんじ》の建築を考証したり、例の田山白雲が憧れている観瀾亭の壁画なんぞを玩味《がんみ》したりするだけの素養があればだが、それも七兵衛には望むのが無理です。
 なるほど、いい景色だなあ、たいしたものだなあ、さすがは仙台様だ――といったような、赤毛布《あかげっと》が誰もする通り一遍の感嘆のほかには、七兵衛として、別段に名所古蹟を縦横から見直すという手段はありません。
 金華山へ行って見たところで、野飼いの鹿がいる、猿がいる、それを珍しがって、やがて頂上へ登って見ると、そこの絶景に感心するよりは、更に一段の高所に登ったために、まず心頭と眼底に映り来《きた》るのは駒井の殿様の船の姿であって――それを眼の届く限り、内外の海の面に向って当りをつけて見たが無駄であった、というだけのものでありました。
 多賀城の石碑《いしぶみ》へも、名所の一つだからと案内されるままに行って見ましたけれど、これが日本有数の古碑であることの考古的興味からではなく、碑面に刻まれた、
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「多賀城去京一千五百里、去|蝦夷《えぞ》界一百二十里、去|常陸《ひたち》国界四百十二里、去|下野《しもつけ》国界二百七十四里、去|靺鞨国《まっかつこく》三千里」
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とあるのをおぼろげに読ませられ、
「はて、京を去る一千五百里――これは、ちっと掛値がありそうだ。蝦夷境を去る一百二十里のことは知らないが、常陸の国界を去る四百十二里は飛ばし過ぎる。これは現に自分が歩んで来た道だが――四百十二里はヨタだね。それからすると、無論下野の二百七十四里もいけない。従って京の一千五百里もあてにならぬことの骨頂だが、靺鞨国というイヤにむずかしい国名はあんまり見かけないが、唐天竺《からてんじく》のことでもあるかな。せっかくの石碑がこうヨタで固められては有難くねえ――だが待てよ、これは昔の里数かも知れねえぞ――それとも支那里数で行っているのか」
 七兵衛としての興味と疑問は、そんな程度のものでした。
 ですから、僅々《きんきん》数日の間に、すべての名所古蹟といったようなものを見尽してしまうと、彼の天性の迅足の髀肉《ひにく》が、徒《いたず》らに肥えるよりほかはせん術《すべ》がなき姿です。
 でも、その数日の間に、駒井の船が姿を見せないことは前日の如く――それで退屈のやる瀬なき七兵衛は、風物を見、海面を睨めていることに屈託した彼は、やっぱり、人を見ることの興味によってのほかに慰められそうなものはない。
 人といったところで、この辺の人とは気風もしっくりしないし、それに第一、まるっきり言葉がわからない。
 何といっても仙台の城下は東北第一の都であるから、人を見るには、あれに越したことはないと、七兵衛は今日しもまた漫然と、すでに概念は見つくした仙台の城下の賑やかなところへ立戻ろうとして、塩釜神社の下まできた。そこでゆくりなく、塩釜|芸妓《げいしゃ》の一群が、藤色模様の揃いを着て、「塩釜じんく」を踊っているのを見ました。
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塩釜かいどう
白菊|垣《かき》に
何を聞く聞く
ありゃ便りきく
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         三十五

 塩釜での盛んな景気の中を足早に抜け去って、早くも仙台の城下へ着いたけれども、
「塩釜じんくが、今日はどうも妙に心を惹《ひ》いて、耳に残っている」
 常盤町というところへ入るともなく足を踏み込んだ七兵衛が、そこでまた仙台芸妓の一群が取りすましてやって来たのにぶっつかりました。
「今日はいやに芸妓に突き当る日だ」
 七兵衛は、その取りすまして行く芸妓たちの後ろ姿をながめておりました。
 七兵衛とても、年甲斐もなく、女にうつつを抜かしたというわけではない。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百に言わせると、
「仙台てところには、美《い》い女は生れて来ねえんだそうだ、というのはそれ、昔、仙台様のうちの誰かが、高尾というすてきないい女をつるし斬りに斬ってしまった、その祟《た
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