「ちぇッ――聞きわけのねえ餓鬼だなあ」
 全く今の場合は、熊と組打ちなんぞをしている場合ではないのです。師と頼み、主とかしずいて来たその先生が、苟《いやしく》も、「友様! 後生だから助けてくれ!」と、意地も我慢も打捨てて、S・O・Sを揚げている時に、熊なんぞを相手にしていらるべきはずではないのですが、いま言う通り、この場合はまさに、前門熊をふせいで、後門先生を救わねばならない苦境にいる。
 ようやくのことで小猛獣を取って抑えて、檻車の中へブチ込んで、さて当の主師の方を見やれば、雲助霞助の砂煙を巻いて行く後ろ影は早や小さい。
「ちぇッ」
 米友は舌打ちをして地団駄を踏みました。無論、杖槍はもう小腋《こわき》にかい込んでいるのですが、この遥《はる》か隔たった雲助霞助を見ると、幾度も地団駄を踏み、歯噛みをしないわけにはゆきません。
 猛烈にはせ出したことははせ出したけれども、さて、自分の足では、これをどうすることもできないという自覚が、米友の心を暗く、胸をむしゃくしゃさせました。
 というのは、腕に於ては相当に覚えがあり、胸に於ては焦《あせ》り切っているが、足に自信が無いのです。本来、自
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