することに我を忘れていた米友は、道庵先生の九死一生の絶叫を聞き漏すことではありません。
俄然として醒《さ》めて、そうして声のする方を見ると、今し道庵が、二人の雲助のために無理無態に駕籠の中に押込まれて、担ぎ去られる瞬間でしたから、すっくと熊を抛擲《ほうてき》して立ち上りました。
しかし、この際、米友の責任感としては、前後の事情を忘却することを許しません。わが師と頼む道庵先生が、またしてもの九死一生の危急を瞬時も猶予すべきではないが、同時に、この動物をこのままにして置いてはいけないということの、民衆的警戒性が閃《ひらめ》きました。
なぜならば、たとえ子供とはいえ、猛獣の部類である。日本に棲《す》む動物としては、これより以上の猛獣は無い。その子熊をこのままにして馳《は》せつけた日には、後患のほどが思いやられる。現にただ出現したことだけによって、先日のあの講演会の席の混乱はどうです。あの時はあれだけで済んだものの、まだこいつは、躾《しつけ》が足りないから、人の出ようによってはいかなる猛勇ぶりを発揮するか知れたものではない。子供の二人や三人を引裂くのは朝飯前の手並であり、まかり間違えば、
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