三ぴんの余党でない限り、道庵に対して、この辺にそう魂胆や遺恨を持っている者はないはず――
 また、道庵先生がもう少し若くて、別嬪《べっぴん》ででもあるならば格別――そうでなくても、もうすこし福々しいお爺さんででもあるならば、さらわれる方も覚えがあり、さらう方もさらい甲斐があろうものを、大江戸の真中へ抛《ほう》り出して置いても拾い手のなかったじじむさい親爺が、尾張の清洲へ来てさらわれるようなことになろうとは信ぜられぬことでした。
 だが、世間には、好んでお医者を担ぎたがる悪趣味者がある。
 京都のある方面の、仏法僧の啼《な》く山奥へ医者を担ぎ込んで、私闘の創《きず》を縫わせた悪徒もある。
 或る好奇《ものずき》なお大名が、相馬の古御所もどきの趣向をして、医者を誘拐して来て弄《もてあそ》んだというようなこともないではない。そのいずれにしても、道庵の蒙《こうむ》る迷惑と困却とは、容易なものではないことは分りきっています。そこで、走り行く雲助霞助の中にいて、駕籠越しに有らん限りの号泣と、絶叫とをはじめました、
「友様――後生《ごしょう》だから助けてくれ!」

         八

 熊を洗濯
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