も、毛利よりも、誰よりも先に旗を都に押立てたものは彼だろう。家柄だって彼等よりずっと上だからな。そうなると信長はもとより、勝家も、秀吉も、頭を上げるこたあできねえ、人間万事、夢のようなものさ。そういえばそれ、この城から桶狭間《おけはざま》へ向けて進発する時の、小冠者信長の当時の心境を思わなけりゃあならねえ。
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人間五十年、化転《けてん》の内を較《くら》ぶれば、夢幻《ゆめまぼろし》の如くなり
ひとたび生《しょう》をうけ、滅せぬもののあるべきか
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世間並みのやり手は、芝居がかりで世間を欺くが、信長ときてはお能がかりだ。
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人間五十年、化転の内を較ぶれば……
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道庵先生はこの時、異様な声を張り上げて、繰返し繰返しこの文句を唸《うな》り出しましたので、さてこそと集まるほどのものが、いよいよ眼と眼を見合わせました。
この異様なる音律を、繰返し繰返ししているうちに、道庵先生の自己感激が著《いちじる》しく内攻して来たと見ると、音声だけでなくて、一種異様なる身体《からだ》の律動をはじめてしまいました。
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