城により、後、秀次の城邑《じょうゆう》となり――関ヶ原の時にはしかじか、後、福島正則が封ぜられ、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を名古屋に移すまでの治乱興廃を考え、従って五条川がここを流れ、天守台はあの辺でなければならぬ、斯波《しば》氏のいたのをこの辺とすれば御薗は当然あれであり、植木屋敷があの辺とすれば山吹御所はこの辺でなければならぬ、ここに大手があって、あちらに廓《くるわ》がある。翻って城下の形勢を観察すると、ここがやっぱり昔の往還になっていわゆる須賀口というやつは、今、田圃《たんぼ》になっている。
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酒は酒屋に
よい茶は茶屋に
女郎は清洲の須賀口に
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 そうだ、それから考えてみると、出雲の阿国《おくに》がしゃなりしゃなりと静かに乗込んで、戦国大名に涎《よだれ》を流させたのはこのところだ。
 須賀口から熱田の方へ行く道に「義元塚」というのがあるから、ついでがあらば弔《とむら》ってやって下さいとお茶坊主が言った――義元といえば哀れなものさ、小冠者信長に名を成させたも彼が油断の故にこそ、信長が無かりさえすれば、武田よりも、上杉より
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