遠からぬ地点)清洲の古城址の内外を、やたらむやみに歩いております。歩きながらブツブツとしきりに独言《ひとりごと》を言っているのであります。
見ようによっては、それはまさしく狂人の沙汰です。ついに、土地の甲乙丙丁はいつしか集まり集まって道庵先生の挙動に眼をとめつつ指差し合って、しきりに私語《ささや》くのを見る、
「どうもあの旅の人は少し変だ――あんな原っぱの中を独言を言いながら、さいぜんから行きつ戻りつして、時々はっはと言ってみたり、石を叩いたり、木を撫でたり、おめき叫んだりしている――様子が変だ、キ印ではねえか」
物事は、当人が凝《こ》れば凝るほど、信ずれば信ずるほど、凡俗が見て以て狂となし、愚となすのは争われ難いもので、この場合の道庵先生としては、平常より一層の真面目と熱心とを以て、懐古と考証とに耽《ふけ》っているので、世上の紛々たる毀誉《きよ》の如きは、あえて最初から慈姑《くわい》の頭の上には置いていないのです。
すなわち先生がブツブツとひとり言を言っているのは、織田信長勃興の地であり、信長が光秀に殺されてから前田玄以法師が三法師を抱いてこれに居り、信雄が秀吉と戦ったのもこの
前へ
次へ
全440ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング