これも自身我を忘れているのでありました。
道庵先生の真骨頂は、平民に同情することと共に、英雄に憧るるところにある。さればにや、日頃は十八文を標榜して、天子呼び来《きた》れども、船に上らず、なんてたわごとを言っているに拘らず、日本の英雄の総本山たる尾張の地に来て見れば、英雄の去りにし跡のあまりに荒涼たるに涙を流し、なけなしの旅費をはたいて英雄祭の施主となって、ために官辺の誤解を蒙ることをさえ辞さぬ勇気があるのであります。
さほどの義心侠血に燃ゆるわが道庵先生が、名古屋よりはいっそう懐古的であり、ある意味に於ては、天才信長の真の発祥地であるところのこの尾州清洲の地に来て、城春だか秋だか知らないが、葉の青黄いろくなっているのを見て、涙おさえ難くなるのも無理はありません。
くどいようだが、銀杏《ぎんなん》城外の中村では、英雄豊太閤の臍《ほぞ》の緒《お》のために万斛《ばんこく》の熱涙を捧げた先生が、今その豊太閤の生みの親であり、日本の武将、政治家の中の最も天才であり、同時に最大革命家であるところの織田信長の昔を懐うて、泣かないはずはありません。
そこで、道庵先生は今し(米友及び熊の子と程
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