》って三成に与えるの覚悟を決めたものなのだ。そうして今日は垂井の陣を引払って、ああして佐和山の城へ三成を助けに行くところなのだ。あの顔色を見給え、彼は気の毒に病気ではあるが、あの無表情な面に深刻な反省があり、決意が溢れきっているのを見遁《みのが》してはならない。事の敗るることを万々承知の上で、甘んじて友を助くるの魂を見て置くがよろしい」
松野主馬はそれから、主人金吾中納言の馬前に膝を突いて、言葉を恭《うやうや》しくして次の如く言った、
「あれをごらんあそばしませ、ただいま軍勢に向って申しました通り、あれは大谷刑部少輔が、石田のために命を与えに行く道すがらでござりまする。まことにもののふの鑑《かがみ》と申すべきではござりませぬか。恐れながら、わが御先代の小早川隆景公は日本第一の明将でございました。御一身の栄達を犠牲にして毛利の本家の礎を据え、筑前五十万石を、太閤殿下よりの御養君たるあなた様のために残し、御身は何物をも持つことなくして生涯を終りになりました。この御陰徳がいつの世か報い来らぬことの候べき――豊臣は亡び、徳川は衰えるとも、毛利の家は動くことなかるべしと人が噂《うわさ》をするのは、一に隆景公の御陰徳と申しても苦しうござりますまい。太閤殿下の御血筋を引き、この小早川の名家を御相続あそばされた我が君――畏《おそ》るべきは後代の名でござりまする、あやかりあそばしませ――いま目のあたり見る大谷刑部が義心を御覧《ごろう》じませ、事の成らざるを知りつつ一身を友に与うるは、もののふの鑑にござりまする、我等武人としては、この後塵を伏し拝むべきでござります」
松野主馬はこう言って、主人の馬前から向き直って、ただいま大谷吉隆が過ぎて行った馬印の後ろかげを合掌して伏し拝んでいる。一軍粛として声がない。夕陽が松原のあなたに沈む。お銀様も、もらい泣きというにはあまりに溢れる涙を如何《いかん》ともすることができない。袖と袂を押当てて、面をあげられない気持になってしまった。
その時、関のかなたで鶏が啼くような声がしたが、まだ夜明けではあるまい。
ああ、いい芝居、わたしはこの芝居を見たいために関ヶ原へ来た。
三成も悪い男ではないが……
吉隆はいい男ですねえ。
わたしは、日本の武士で、まだ大谷吉隆のようないい男を知らない。
今は、その人の討死した関ヶ原の駅頭に来ているのだ。あのいい男の首塚が、ついこの辺になければならぬ。
わたしは、何をおいても、あの人の墓をとむらってあげなければならぬ――明日、明朝――いいえ、今夜これから――ちょうど、月もあるし……
大谷吉隆の首塚を、わたしは、これから、とむらってあげなければならない。
二十一
あの晩、道場へ逃げ込んだために虎口を遁《のが》れたお雪ちゃんは、おりから道場の中で居合を抜いていた宇津木兵馬のために擁護されました。
しかしお雪ちゃんも、それが兵馬であると知って救いを求めたのではなく、兵馬もまたお雪ちゃんと知って、その急を救ったのではありません。忽《たちま》ち続いて起ったあの兇変のために、おたがいの見知り人などは飛んでしまいましたけれども、翌日になれば、それは当然、あいわからなければならないことであります。
わかってみれば、それは上野原以来の相識《あいし》れる人でした。すなわち、道に悩んで一杯の水を求めた人が兵馬で、快くそれを与えたのみならず、温き一夜の宿もかしたのがお雪ちゃんであります。
兵馬とお雪ちゃんとの名乗り合いがあり、その後のおたがいの変化のある身の上話があり、結局は再び相応院へ送られては来たが、その住居《すまい》には竜之助がいないのみならず、貸本屋の政どんが来た形跡があり、それと同時に何者にかいたく踏み荒されて行った跡が歴々であります。けれどもお雪ちゃんは、器用にそれを兵馬には押隠し、自分の生活は、久助さんのほかには水入らずだということを示し、同居人、すなわち竜之助のことを兵馬に語るはずのないのは、その以前から二人の間にわだかまる何物かを察しているからのことです。
そのうちにお雪ちゃんは、いろいろの方面から、それとなく聞き込んだところによると、どうも、あの代官を殺し、妾を奪うたという大悪人が、自分と生活を共にしていた竜之助ではないか、あの人に相違ない――というような心に打たれて、身も世もあらぬほどに驚き、同時に、竜之助はもはやここへは決して帰って来ないということを信ずるに至りました。
竜之助はいない――ということをお雪ちゃんが見極めてしまって、兵馬を迎えるような順序に知らず識《し》らず落ちて行ったことは、兵馬も強《し》いてこちらへ来るつもりもなく、お雪ちゃんも決して兵馬に来てもらうつもりはなかったのですが、この際、一人の生活の不安と、それから兵馬
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