儘な行動をとる。それだから無論、六角堂で待合わせて、大垣で落合うというようなことは知らない。
ただ、今晩はどうしても大垣でお泊りなさるようにと、お座敷まで取ってあるのを聞き流してお銀様は関ヶ原まで打たせてしまいました。お角、及び新たに加わった一行の空気と相触れることはお銀様としては絶対に許せない。お銀様としては、このまま全く自分勝手の自由行動をとって、行くところへ行ってしまいたいのだが、それは、旅慣れないお銀様の気持が許さないのではなく、保護者として、預り主としてのお角さんの立場が許さない。そこで、眼にも余り、手にも負えない我儘《わがまま》いっぱいの自由行動を黙認しながら、しかもお角さんは、お銀様に対する監視の眼だけはちっともゆるめないのです。
今夕も、関ヶ原まで伸《の》すという行動には一切干渉しない代り、心利いた若い者の庄公を目附として、ここまでつけてよこしました。
庄公は宿の一間、いつもお銀様へ眼の届くところに部屋をとって、監視の任に当っていたが、旅の疲れで眠りこけてしまいました。
夜更け、人静まった時分、お銀様は籠行燈《かごあんどん》の下で関ヶ原軍記を繙《ひもと》き出しました。
お銀様は、まだ知らない行先の土地のことをよく知っている――これが、この行中もお角さんの最も驚異するところの一つでありました。
自分はかなり世間を歩いているのに、世間を知らないことが多い、はじめて旅に出たお銀様が一から十まで、まだ踏まないさきの土地のことを知っている。このことの驚異が、お角さんとして、お銀様というものを、いよいよ底気味の悪いものにしている。人は自分の持たぬものを見るのに過大な影を置くもので、まのあたり眼でみ、耳で聞くことのほかに知識の鍵をもっていないお角さんが、一室に閉籠って蓄《たくわ》えていたお銀様の読書の知識というものに思い及ばないからこそ、大きな驚異と、怖れとがある。
それにしても、お銀様の知識というものは、単に普通の人のする読書や見聞から来る知識以上に豊富なものがあり、また同時に読書の知識と、旅の実際とを考証してみることに、少なからぬ興味を持っていたものですから、到るところの名所古蹟に対する予備知識に加うるに、その土地土地に於ての参考資料をおろそかにはしなかったのです。
名古屋にいる時にもうすでに、関ヶ原に関する史料を相当にととのえて持っていました。いま関ヶ原軍記を繙いているのは、明日は指呼歴々の間《かん》に、軍記の示す配列を実地に眺めようとの下心に相違ない。
だが、お銀様の関ヶ原に興味を持つのは一日の故ではない――お銀様は関ヶ原合戦の歴史に於て、どうしたものか、西軍に同情を持っている。石田、小西に勝たせたいという贔屓《ひいき》が、物の本を読むごとにこみ上げて来るのを如何とも致し難い。それだけに家康を嫌います。或いは家康を虫が好かない故にこそ――西軍に贔屓が出るのかも知れない。けれども、あの時に於て、お銀様の贔屓とか、興味とかいうものが、石田、小西に集中しているわけではない、その人は別にあるのです。
およそ関ヶ原軍記のうちに、お銀様をして、この人こそと、無上の共鳴と、同情と、贔屓を与えている人がたった一人あるのです。常の時でさえ、お銀様はその人のことを想い出でると、涙を流して泣くだけの同情と、贔屓とを持っている。それは誰人ぞ、大谷刑部少輔吉隆《おおたにぎょうぶしょうゆうよしたか》その人。歴史上の人物で、お銀様がこのくらい自分を打込む人は、唯一とは言わないまでも、稀れなる例であります。
まして、この時、この場へ来て、夜更けて人静まった時分です。冴《さ》えきった眼の前に、朦朧《もうろう》としてその人が現われて来るのは是非もないことです。
十八
お銀様は、今ここで次のような大芝居を見ている。
宏大なる一室に紙帳を釣らせて、その中に敷皮を敷いて、白絹の陣羽織に白金物《しらがなもの》打った鎧《よろい》を着て、坐っているのが大谷刑部少輔吉隆である。
紙帳がよく透き通っているから、芝居の土間の二三あたりで見るよりも、はっきりとお銀様は、刑部少輔の科白《せりふ》から表情の一切を見て取ることができる。
かく身体はいかめしく鎧《よろ》っているのに、頭は法体で、面目が崩れている。お銀様としても、それを、崩れているとよりほかは見ようがありませんでした。眼だけは爛々《らんらん》として輝くものがあるのに、鼻梁は落ち、顔面はただれ、その上に蛆《うじ》が湧いている。
誰人も、この名将の面影に、その無惨なる天刑(?)の存することをまともに見るには忍びないはずであります。然《しか》るにお銀様は、じっと瞳をこらして、それをまともに見ているのであります。こうして大谷刑部少輔は紙帳の中に、ひとり端然と控えているこ
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