てこだわりがない。彼等は強盗をしない、小細工をしない、見かけは鬼のようであって、実は淡泊にして、親切にして、且つ苦労人であって、同情ということを知っているが、決してそれを押売りはしない。
 彼等は、落ちたりといえども一国一城の主をもって自ら任じ、決して親のつけた名前なんぞを呼ぶものはない。
 試みに、天下の街道から、この愛すべき雲ちゃんを取去ってみると――
 交通はぱったりと止り、景気はすっかり沈んで、五十三次の並木の松には不景気が首つりをする。雲助があって天下の往還があり、天下の往還があって雲ちゃんがある。
 嗚呼《ああ》、敬愛すべきわが自然児雲助諸君、おらあほんとうにお前たちに惚れたよ。
 おおよそこういったようなもので、道庵先生の雲助に対する礼讃ぶりは最大級のものに達しているのは、一つには、これは折助の卑劣なるものに対する日頃の反感が手つだっているとはいえ、また今日のぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]なんという振舞が、すっかり道庵の気に入ってしまったものと思われる。当時泣く子も黙るところの長者町の大先輩ともあるべきものを、一言の挨拶もなく、いきなりふんづかまえて、手前物の駕籠の中へ押込み、約十里というがもの宙を飛んで、ところも嬉しい関ヶ原の野上へ持って来て、さあ、どうでもなりゃあがれとおっぽり出した度胸なんぞは、まことに及び易《やす》からざるものじゃないか。
 一も二もなく雲助のきっぷ[#「きっぷ」に傍点]に惚れ込んだ道庵が、ここで彼等の溢《あぶ》れ者《もの》をすっかりかり集めて、大盤振舞をした上に、明日はこの勢いで関ヶ原合戦の大模擬戦を行って見せるのだという。
 すなわち、自分が雲助の大将として、大御所の地位に坐り、一方、石田、小西に見立てた西軍を編成して、あちらに置き、そうして明日はひとつ天下分け目の人騒がせをやるのだということを、道庵がしきりに口走っている。
 ははあ、垂井からこっちへの流言蜚語《りゅうげんひご》の火元はこれだな!
 東は水戸様が出馬し、西は長州侯が出陣し、東西の国持大名が轡《くつわ》を並べるというのはこれだ。
 米友は、道庵の雲助礼讃が終るのを待ち、清洲以来の自分の行動を物語って道庵の諒解を求めた上に、親方のお角から頼まれて、これから関ヶ原まで行かねばならないことの承諾を求めたけれども、雲助にのぼせきっている道庵の耳には入らない。
「ああ、いいとも、いいとも」
「ああ、いいとも、いいとも」
 道庵は一切無条件で、米友の申し出を受入れてしまうものだから、米友としては手のつけようがなく、そうかといってこうまでのぼせ切っている道庵を、この多数の雲助の手から取り上げて、常道に引戻すことは不可能のことだ。
 それともう一つ、今晩このところから道庵先生をテコでも動かせないことにしたところの理由が、まだ存在する。というのは、この野上の地点というものが関ヶ原合戦の時、まさしく大御所家康が本陣を置いたところなのです。桃配りという名は、家康が桃を配ったからだというのは道庵一流のヨタだが、この地点に徳川家康が百練千磨の麾下《きか》の軍勢を押据えて、西軍を押潰《おしつぶ》したという史蹟は争えないものがあるのです。
 そこで、道庵先生、雲助に共鳴してはしゃぎ切っている一方、自分はいつしか大御所気分になって、のぼせきってしまって、ここに今晩の本陣を押据えて、明日は西軍を微塵に踏みつぶして、小関のあとで首実検をするという威勢に満ち満ち切っているのですから、米友が何を言うかなんぞは全く耳に入ろうはずもありません。
 しかし、米友としては、この先生の気象は呑込んでいることだし、相手に心酔し、共鳴してやる仕事だから、危険性のないという見極めがついているから、道庵の為すがままに任せるよりほかはないと思いました。
「じゃ先生、おいらは先に関ヶ原へ行ってるよ」
 かくて、てんやわんやの野上駅の騒ぎをあとにして、米友一人はまた馬に跨《またが》って、関ヶ原へ向けて出発しました。

         十七

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大垣より垂井へ一里十一町
垂井より関ヶ原へ一里半(その間に野上)
[#ここで字下げ終わり]
 お角から指定された宿の恵比須屋へ米友が到着しました。
 恵比須屋の上壇の座敷を二間も占領して、頑張っているのはお銀様でありました。お銀様はあの事あって以来、ことにお角との同行を好まないらしい。あの事というのは、お角がぜひなく岡崎藩の美少年と相駕籠で、自分の先をきったということでありましょう。それに、今日は、あの美少年としめし合わせて、どうやら、別にまた一行の他人と旅を共にする約束が出来たらしい。
 相手の何者かはわからないが、ただでさえ毛嫌いをはじめたお銀様が、それをうべなうべきはずはない。お銀様は一行の頭をおさえて自由気
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